雑感の智慧

ある都議の辞職撤回劇から考える「被害者ドラマ」の目的とは


本日は、ここ最近何かと話題に上っております、東京都議会議員のさとうさおり氏を巡る一連の動向についてお話しさせていただきたいと思います。

 

政治的な是非を追求するというよりも、今回の「都議辞職の表明と、その撤回」という出来事を通じて感じた私なりの違和感や、人の心理的な側面に焦点を当ててお話しいたします。

 

「辞職表明」と「撤回」を巡る一連の経緯

 

発端は、さとう氏が「命を優先する」という言葉とともに都議を辞職する意向を配信されたことでした。非常に切迫した理由があるかのように受け取れる表現でありましたが、具体的な背景については当初深く語られませんでした。

 

しかしその後、わずか一週間ほどの間に「辞めるのを辞めます」と辞職の撤回を発表されたのです。

 

その説明によれば、身近な方に対する金銭目的の脅しや圧迫があったものの、周囲の方達に相談したり、ご自身の努力によって事態が解決に向かったため、議員活動を継続する決断に至ったとのことでした。

 

法律や公務に携わる立場であれば、真に不当な脅迫や恐喝被害に遭われた際、まず検討されるべきは「警察への被害届の提出」や「法的な手続き」ではないでしょうか。捜査上の理由で詳細を明かせないのであれば納得もできますが、そうした公的な手続きについての言及がないまま、短期間で「周囲の協力で解決したため辞職撤回」とされる展開には、どこか不自然さを拭えません。

 

「正義を貫く」という言葉と、法的な手順を踏まずに曖昧な経過のまま物事を進める行動との間には、少なからず温度差を感じてしまいます。

 

ドラマチックな言動の背景にある心理

 

今回の配信を見て私が最も強く印象に残ったのは、彼女の話し方が非常に劇的であり、芝居がかっているという点です。

 

現実の出来事を他者に伝える際、誠実であろうとするならば、感情を過度に交えず客観的な事実を淡々と述べることのほうが印象は良いように思うのですが、実際は彼女の言動には必要以上に事態を大きく見せ、周囲の感情を揺さぶるような大げさな演出的雰囲気が漂っていました。

 

私にはどうしても「コントロールドラマ」や精神医学的見知からみる「演技性パーソナリティ障害」といった傾向が見られるように感じるのです。それらにに見られる特徴として、「強い承認欲求」や「注目を集めたいという衝動」が挙げられますが、彼女の言動はどうしてもそのようなものがあるように私には思われました。

 

根底に自己肯定感の低さや強い不安を抱えている場合、「悲劇の主人公(被害者)」を演じることで周囲からの心配や関心を一身に集め、自身の存在価値を確認しようとすることがあります。

 

 

  • 注目を集める手段としての悲劇: 自身を悲劇的な状況に置くことで、人々の関心を引きつける。
  • 曖昧な情報発信: 詳細を明確にせず想像の余地を残すことで、継続的な関心(インプレッション)を維持する。

 

 

自尊心が安定している方であれば、わざわざ「かわいそうな自分」を演技して注目を集めようとすることは避ける傾向にあります。しかし、意図的であるか無意識であるかわわかりませんが、こうした被害者ドラマを重ねてしまう行為は、長期的には周囲の疲弊を招き、政治家として最も大切な「信頼」を損ねることにつながりかねません。

 

客観的な視点を持つことの大切さ

 

地方議会の議員として、行政や都政を監視し、時には強い態度で対峙することは職務上必要な姿勢です。しかし、そこに過度な自己演出や真偽の不透明なドラマを持ち込んでしまうことは、公人としての信用という観点から疑問が残ります。

 

私たちは、日々さまざまな情報や出来事に触れる中で、単に「好き・嫌い」という主観的な感情だけで物事を判断してしまうと、本質を見誤ってしまう危険性があります。

 

「なぜこの人はこのような行動をとるのだろうか」

 

「この言葉の裏にはどのような心理や目的があるのだろうか」

 

ひとつの側面だけに執着せず、多角的な視点や客観的な分析の枠組みを持つことが、情報にあふれた現代を冷静に見極めるための助けになるのではないでしょうか。

 

今回の「都議を辞めるのをやめます」問題には、何かに騙されないために、ひとつの側面だけに執着せず、何にも疑う視点を持つことの重要性と、信頼を得るためには、大げさな被害者ドラマで注目を浴びることは悪手であり、誠実さは稚拙であっても正直さのほうが勝ることを見せてくれた出来事のように思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


ある都議の辞職撤回劇から考える「被害者ドラマ」の目的とは - 思考のダイアローグ | stand.fm 最近話題となった政治家の「辞職撤回劇」のニュース。その大げさな言動や「被害者ドラマ」の裏にある承認欲求と、公人に求められる「信頼」について心理的な視点から考察しました。 情報に惑わされず冷静な視点を持つヒントになれ...
 

 


なぜ私たちは「何者かになりたい」と焦るのか?

8月も最終日を迎え、暦の上では秋へと向かう時期となりました。私が暮らす八王子は盆地特有の地形ということもあり、夏の暑さは一層厳しいものがあります。

 

季節の変わり目や台風などの気圧変化が重なると、どうしても身体の調子が優れず、呼吸のしづらさやだるさを覚える方も多いのではないでしょうか。身体の不調は、想像以上に私たちの心に暗い影を落とします。心と身体は不可分であり、どちらかが揺らぐと、もう一方も引きずられてしまうものです。

この時期、ご相談に来られる生徒さんや周りの方々のお話を伺っていても、「なんだかすっきりとしない」「霧の中を歩いているような不快感がある」とおっしゃる方が目立ちます。普段は見ない振りをしていたご自身の問題点や、心の奥底にあった「モヤモヤ」が現実として表面化しやすいタイミングなのかもしれません

 

なぜ私たちは「何者かになりたい」と苦しむのか

現代社会は非常に自由であり、自分の生き方を自分で選べる時代です。しかし、その「自由」こそが、時に私たちを強く締め付ける原因となります。

 

人の脳は、常に選択を迫られる状態に強いストレス(認知負荷)を感じるようにできています。そのため、脳は少しでも負担を減らそうと日常の行動を「習慣」に落とし込もうとします。

 

 

  • 朝起きて飲むもの
  • 毎日の通勤ルート
  • いつもの思考のパターン

 

 

このようにして作られた「習慣の奴隷」になることで、脳は平穏を保とうとします。しかしその一方で、自由だからこそ「自分は何かになれるはずだ」「何者かになりたい」という強い焦燥感を抱き続けることになります。

 

変化することに伴う苦痛を避けたくて同じ習慣を繰り返しながらも、心では現状からの脱却を望んでいる——このジレンマこそが、現代人が抱える生きづらさの大きな要因ではないでしょうか。

 

曖昧な慰めではなく「具体的で責任ある一歩」を

生き方に迷ったとき、多くの方は友人やカウンセラー、あるいは占いやAIなどに相談をし、答えを探そうとします。

 

しかし、そうした場で明確で具体的なアドバイスを得られる機会は、思いのほか少ないものです。具体的な答えを提示するということは、相手の人生に介入し、その結果に責任を持つ覚悟が必要だからです。そのため多くの場合、「答えはあなたの中にあります」という抽象的な言葉にとどまってしまいがちです。

 

私自身がご相談をお受けする「相談業」として大切にしているのは、「では今、具体的に何をすべきなのか」を明確にお伝えすることです。

 

誰にでも、その人が生まれ持った得意なことや、無意識にできてしまう素晴らしい才能があります。ご自身では当たり前すぎて気づけない強みを拾い上げ、今抱えている問題を解消するための現実的な手順へと落とし込んでいく。耳の痛い指摘になることもありますが、その「足の裏のトゲ」を抜くことこそが、人生の視点を大きく変えるきっかけになります。

 

無意識に惑わされず、目の前の「現実」と向き合う

「自分の無意識(潜勢意識)を変えなければ、根本的に変われないのではないか」と悩まれる方も少なくありません。

 

確かに、私たちの行動や思考の8割近くは、過去の体験や記憶から作られた無意識の影響を受けています。しかし、目に見えない無意識そのものを操作しようと躍起になる必要はありません。

 

もし無意識の中に解消すべき問題があるのなら、それは必ず「現在の人間関係」や「日々の暮らしの中の不具合」として、現実の表面に浮かび上がってきます。

 

 

  • 子どもとのコミュニケーションがうまくいかない
  • 職場に自分の居場所がないように感じる
  • 家族との関係に不快感を覚えている

 

 

そうした今目の前で起きている現実の問題に一つひとつ対処し、小さな選択を変えていくこと。自分自身が行動を変えれば、それに伴って無意識の領域も自然と変化していきます。

 

無理に目に見えないものを暴こうとするのではなく、「それも含めて今の自分なのだ」と大きな視野で丸ごと受け入れること。そして、今の自分が少しでも楽に過ごせる選択(正解)を積み重ねていくことこそが、健やかに生きていくための訓練となります。

 

現実の肉体を慈しみ、歩みを進める

いくら思考や精神の世界に意識を向けようとも、私たちはこの肉体を持って、この現実世界を生きています。

 

身体が思うように動かないもどかしさを感じる日があっても、逃げられない現実を受け止め、杖を頼るように道具や知恵を活用しながら歩んでいけばよいのです。完璧を目指す必要はありません。

 

世の中の複雑な問題をむやみに細分化して自分を追い詰めるのではなく、時には大きく捉え、「今はこれでいい」と流すしなやかさを持つこと。

 

これからまた新しい季節が訪れ、取り巻く環境や選択肢も変化していきます。ご自身の「今の安心」を守るための選択を積み重ねながら、どうか今日という日をご自愛をもってお過ごしください。

なぜ私たちは「何者かになりたい」と焦るのか? - 思考のダイアローグ | stand.fm \ 8月最後の日、心がちょっと重いあなたへ / 「なんだかモヤモヤする」 「このままでいいのかな…何者かになりたいのに」 自由だからこそ迷ってしまう現代。 変わろう...
 

 


【東京24区】ReHacQ(リハック)討論会で見えた、萩生田氏が若手候補に送った“親心”とは

 

窓の外では、妖精の粉ではなく、本物の雪が舞い始めています。週末の大寒波、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今日は、いよいよ明日に迫った衆議院選挙、そして私の地元・八王子(東京24区)で感じた「一票の重み」と「政治家の器」についてお話しします。

 

期日前投票所で耳にした「誰かのせい」にする言葉

 

週末の雪を予想して、私は一足早く期日前投票に行ってきました。 市役所は驚くほどの人。10年前とは比べものにならない熱気で、ディズニーランドのような行列ができていました。

 

そこで並んでいるとき、私の前のお姉さま方の会話が耳に入ってきました。 「高市さんは、どうしてこんな寒い時期に選挙なんてしたのかしらね」「本当、困っちゃうわよね」

 

それを聞いて、私は少しモヤっとしてしまったんです。 もちろん、寒い中並ぶのは大変です。でも、そこに「自分の意思」があるのなら、文句は出ないはず。文句が出るということは、どこか「誰かに言われて来た」という受動的な気持ちがあるからではないでしょうか。

 

組織の一票かもしれないけれど、名前を書くのは自分です。一票の責任を、誰かのせいにせず自分自身で引き受ける。それが、大人の「しなやかな」関わり方だと思うのです。

 

圧倒的な力の差が浮き彫りにした「大人の流儀」

 

今回の選挙をめぐって、YouTube番組『ReHacQ(リハック)』で東京24区の候補者討論会が行われました。注目区ということもあり、5人全員が揃った貴重な回です。

 

そこで私が感じたのは、萩生田光一さんの圧倒的な「器」の大きさでした。 国政の中核で大臣を経験してきた萩生田さんと、都議に当選して1年も経たない32歳の若い候補者。正直に言って、大人と子供ほどの経験値の差がありました。

 

驚いたのは、萩生田さんの態度です。相手を打ち負かそうとするのではなく、どこか「育てる」ような、まるでお父さんのような温かさがあったんです。 特に、立憲民主党から急遽「中道改革連合」として出馬し、政策の矛盾を突かれて言葉に詰まる若い候補者に対し、萩生田さんやMCの高橋プロデューサーが「君はどう思うんだい?」「自分の本心を話したほうがいいよ」と促す場面がありました。

 

政治家である前に、一人の人間として「自分の意思を貫けているか」を問う。その光景は、戦いを超えた教育のようにも見えました。

 

 

「仏敵」という言葉と、八王子の民度


八王子は、創価学会にルーツを持つ方々が多く住む地域でもあります。 私の家でも、かつて義母が信仰していた時期があり、仏壇にまつわる葛藤がありました。最終的には夫と相談し、信仰していないものを形だけで置くのは失礼だとお返ししましたが、そこには常に「地域のしなやかな人間関係」が介在しています。

 

今回、一部で「敵を仏敵(ぶつてき)と呼んで戦う」という空気があると聞きました。 しかし、愛と平和を掲げる思想の中に「敵」を作る矛盾。その戦いは、本当にこれからの日本に必要なのでしょうか?

 

私たちの「民度」が問われている

 

今、日本中がこの八王子を注視しています。 「八王子の人は、どれだけ本質を見抜けているのか?」 それは、私たち市民の民度が問われているということでもあります。

 

誰かに言われたから、同調圧力があるから……そんな時代はもう終わりです。 自分の心に嘘をつかず、この国の命運を誰に託すべきか。 雪の中、さらさらと舞う空を見上げながら、私は改めて「自分の一票」に責任を持とうと決めました。

 

皆様もぜひ、ご自身の地域で、自分の意思で一票を投じてきてください。 それでは、また次回お会いしましょう。

 

 

記事を読んでくださって ありがとうございます

 


ReHacQ討論会、萩生田氏が若手候補に送った“親心” - 思考のダイアローグ | stand.fm YouTubeで話題のReHacQ討論会。東京24区は候補者全員参加でした。そこで見たのは、戦いではなく『若い候補者を応援するような大人の余裕でした。 ▶️在処ホームページ https://arika0...
 


激戦【東京24区】八王子市民が語る 自民vs中道と簡単には割り切れない八王子の深い事情

 

 

皆実は数日、体調を崩しておりました。おそらく3年周期でやってくる「尿路結石」の仕業……。激痛と戦い、体力を戻し、ようやくこうしてマイクに向かっています。痛みのない健やかな日々。痛みを乗り越えた後には何気ない毎日が「楽園」に感じられますね。


さて、元気になった私が今、全エネルギーを注いで楽しんでいる「推し活」。


それは、選挙です。


悩みも楽しみも「全振り」すれば見えてくるもの

 

子育ても終わり、夫も定年退職。社会との接点が薄くなると、孤独を感じたり、悩みがなくなって退屈したりするかもしれません。

そうして心に余裕ができると、次に見えてくるのが「人間観察」の面白さです。


特に選挙は、政治家の皆さんが人生をかけ、人間関係や実績のすべてを「数」という結果で突きつけられる場所。そこには、人間の本性やドラマが凝縮されています。


八王子(東京24区)の特殊でシリアスな事情

 

私が住む八王子、東京24区は今、日本中で最も注目されている選挙区の一つです。


ここには、高市政権で幹事長代行を務める萩生田光一さんがいます。


不記載問題などでバッシングの的にもなりましたが、高市総理は彼の「実務能力」を認め、適材適所で仕事を任せました。私はこの「能力のある人間が国のために動く」という自民党の底力を支持しています。


理想を語るだけでは、私たちの生活は良くなりません。


現実のお金をどう動かし、どう国を動かすか。その舵取りができる「しなやかさ」と「軸」を持っているのは誰か。それを見極めるのが、私たち有権者の役割だと思うのです。


八王子特有の「空気感」と、究極の選択

 

八王子にはもう一つ、独特な事情があります。


創価学会の拠点があり、地域社会の中に学会員の皆さんが深く根ざしています。PTAや町会の仕事など、誰もがやりたがらない大変な仕事を一生懸命やってくれる彼らに、私たちはどこかで助けられています。


今回の選挙は、立憲民主党と公明党が合流した「中道改革連合」の候補者が対抗馬として立ち、これまで協力関係にあった自民党と公明票が明確に分かれるという、構図になりました。一見するとわかりやすい構造なのですが、実際はそんなにわかりやすく、単純なものではありません。


親戚や近所に学会員がいる。選挙のたびにフレンド票のお願いをされるのは当たり前です。八王子に住んでいれば、学会の勧誘をされることもよくある話だし、子どもの通う学校の教育実習に創価大学の学生がくる。学会の会員さんはとても熱心な方が多いので、真面目で一生懸命な反面、それを鬱陶しく感じる人も少なからずいます。そういう人たちは、距離をとりつつ、大きく非難したり不愉快さを表に出さずに、うまくやっていくことを余儀なくされています。

普段は自民党を応援していても、選挙になると角が立つからポスターを剥がす。そんな「八王子の空気」を読みながら、それでも私たちは一票を投じなければなりません。


あなたが選ぶのは「地方の代表」か、「国のカジトリ」か

 

私が萩生田さんを応援するのは、彼が単なる「地域の代表」を超えて、今の日本にとって、そして高市政権にとって「なくてはならない実行力」を持つ人材だと思うからです。


誰かに言われたから、空気を読んだからではなく、自分の胸に手を当てて考える。


「この国にとって、今何が一番大事なのか?」

今東京24区に住む私たちには、地域の代表を選ぶことと同時に、日本の未来を任せることができる人を選ぶという大きな責任があるように思われます。

このちょっとねじれたように見える八王子で、それぞれの「どうしたいか?」が問われています。


自分の信念を軸に持ちながら、激動の時代をしなやかに泳ぎ切る。


高市総理が見せているその背中を、私たちはどう受け止めるのか。


選挙ウィーク、この一番楽しい時期に、皆さんもぜひ「思考の筋トレ」をしてみてください。

今、いま、イマというこの点が、未来をつくっているのです。

日本の未来は私たち小さな国民がつくっているのです。

無駄なことなんて何一つないと思います。

どうせ何も変わらないとか、誰かがなんとかしてくれるだろうなんて諦めて自分の選択を人に任せてしまうのはやめましょう。

文句があるなら、自分の権利を行使してからごねましょう。

そのほうが、ごねる甲斐もあるというものです。




記事を読んでくださって ありがとうございます


激戦【東京24区】自民vs中道と簡単には割り切れない八王子の深い事情 - 思考のダイアローグ | stand.fm 私の住む東京24区(八王子)は超シリアス。 「理想」だけでお腹は膨らまない。泥水をすすってでも国を動かす「実務能力」があるのは誰か? 高市総理が見せる「しなやかな強さ」を信じ、私は私の信念で1票を投じます。 ...
 



仕事するってするって悪いこと(罪)なの?

 

 

本日のお話は、流行語大賞に選ばれた高市総理のあの一言について。食事中に夫がつけたテレビで受賞式の様子が流れていて、「あ、こんな場にも出てこられるんだ」と少し驚きました。総裁選での「働いて、働いて——働いてまいります」というフレーズ。もちろん、働き方をめぐる議論があるのは承知のうえで、私はあの言葉を“誰かに強いる宣言”ではなく、「まず自分がやる」「仲間を鼓舞する」という決意の言葉として受け取りました。言葉は切り取り方ひとつで印象が変わります。人は見たいように見て、聞きたいように聞くもの。だからこそ、「この人はそう捉えたのね。では私はどう感じる?」と、自分の視点を持ち直すことが大切だと思います。


ここからは“働く”という行為の話。ドラマ『アンナチュラル』に、「なんで働くんですか?」という同僚の質問に法医学者の主人公が「美味しいものを食べるためかな。生きるために仕事してる」と答える場面があります。「イタリアでは労働は罪なんだって」というセリフにもドキッとしました。私は看護師として働いてきました。仕事が大好きで、大変なことももちろんありましたが、充実していました。仕事が心底おもしろかったのを思い出します。担当の患者さんの向こう側に、チーム、病棟、病院全体の動きが見えはじめて、自分の働きが誰かの役に立っている実感が生まれたとき——あれは喜びでした。私にとって労働は“罪”ではなく、生き甲斐とプライベートの自由を得るためのものです。仕事をすることでその労働に対しての対価が生まれ、その対価が自分や家族の暮らしを支える。その循環に、私は自分の“ちょうどよさ”を感じます。


もちろん、過労は問題です。心身を壊すほどの働き方は、どこかで「やめる」「逃げる」と決めていい。やらされるだけの働き方から距離を取り、やると決めたら腹を括る。そのバランスを学ぶのが、社会と自分との健全な付き合い方なのだと思います。だから私は、「働くこと=悪」でも「休むこと=悪」などと一括りにするのは違うと思います。人にはそれぞれのリズムがあり、支え合える関係があれば、がんばる人にも、いったん緩める人にも、それぞれのやり方が尊重される必要があると思います。。


高市総理の言葉を私は、“決意表明”として受け取りました。実際どこまでやれるのか、やって見せてください——そんな素直な期待もあります。私自身は、働くことにはポジティブなイメージを持っています。働くとは、世界と自分をたがいに支え合う、エネルギーの循環の一つではないでしょうか。


働くことは、あなたにとって何ですか?罪でも罰でもなく、あなたがあなたとして生きるための方法なのだとしたら、今日をどう過ごしますか?がんばる時間、緩める時間、その間にある静かな余白。それぞれの“ちょうどよさ”で、プライベートと仕事をつないでいけたらいいですね。




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飛蚊症なのかも?みたいものを見ている私たちの世界について

ここ1か月ほど、朝起きると視界に黒い点がいます。目を動かすと、点も“ぷいーん”と付いてくる。以前も疲れたときに数日だけ現れては消えたのですが、今回は定住なさっているご様子。


「これは世にいう飛蚊症(ひぶんしょう)かしら?」と思ったわけですが、私は糖尿病があるので、いちばん怖いのは網膜の出血。放っておけば視野欠損や失明につながることもあるので、コレは違うと思いつつまずは診断が大事ですから、今回はサッと眼科受診へ向かいました。


瞳孔を開いての検査、眼底カメラ、視力・眼圧、CTなどフルコースでチェックしていただきました。結果は眼底に出血なし。ひと安心。先生からのレクチャーがとても分かりやすかったので、素人メモとして共有します(用語はざっくり)。


目の中には硝子体(しょうしたい)というゼリー状の物質が詰まっています。


若いときは“ぷるぷる”ですが、加齢でサラサラ化(液状化)してきます。


動くたびにゼリーとゼリーを包む膜がゆらゆらし、微小な濁りや繊維が網膜に影を落とす——これが飛蚊症として「虫や糸が見える」感覚になる。


加齢変化なので、ゼリーを“元のぷるぷる”に戻す治療は基本ありません。


つまり、コレは加齢による変化なわけで、病的な出血ではないと確認できたなら黒い点=いま可視化されている私の一部ということです。病的な出血ではないと確認できたなら、付き合い方を決めるのが次のステップです。


※赤い稲妻のような光が走る(光視症)、黒い幕がかかったような視野の欠け、急に数が増えた——こうした変化があれば至急受診が安心です。




人間の耳や目は情報をぜんぶ集めて、脳が取捨選択しています。雑踏の中でも友人の声が拾えるのは、そのため。黒い点も同じ。注視すれば、ずっと気になる。でも「自分はどこにピントを合わせるか」を決めることはできる。


私はこう決めました。「黒い点も私。あるけれど、世界のほうにピントを合わせて生きる」。点は点として受け入れ、視界全体を見にいく。すると、不思議と心も広がります。


白髪や白内障と同じく、飛蚊症も加齢のサイン。私の体には、めまい、寝姿勢の制約、肩の痛み(たぶん五十肩)など見守り案件がいくつも常駐しています。健康なときには要らなかった配慮や工夫が、今は必須です。


医療の現場では、「完治」よりも寛解という考え方があります。私にとってのキーワードは、“良くする”より“ちょうどよくする”。薬や生活を乱暴にいじらず、いまの安定をキープする——そんな選択が最善の日もあるのです。



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飛蚊症なのかも?みたいものを見ている私たちの世界について - 思考のダイアローグ | stand.fm 朝起きたら目の前に黒い点が出現。コレは飛蚊症か?と思いつつ眼科を受診してきたお話し。 *考え方の癖、認知の歪みで自分を苦しめていませんか?
それらを修正する方法をお教えします 人生をもっと生きやすく、そ...
 


秘密を抱える日々が人を大人にする〜防衛大臣・小泉進次郎はなぜ「覚醒」したのか〜

本日の話は、最近よく耳にする「小泉進次郎さん、覚醒した?」という噂について。これは私が日々の観察とセッション経験から感じた個人的な考察=ほぼ独り言です。事実の断定ではなく、「この人、こうなんじゃない?」という読み物としてお楽しみください。


“軽い”“中身が見えない”“軽い神輿は担ぎやすい”など今まで小泉さんには、そんなあまり良いとは言えない評価があったように思います。私もあまり良い印象はありませんでした。見た目の華やかさや立ち振る舞いの良さはある。でも、「政治家として何を成し遂げたいのか」「どの場面でどこまで腹を括るのか」が見えにくかった。日本人はイメージに振り回されやすい国民性もあるからこそ、私はずっと不安だったのです。


ところが最近の記者会見や、予算委員会の質疑でカメラが抜かれるたびに思うのは、表情が変わったということ。ドヤ顔ではない。けれど、目が座っている。短い言葉の端々に、曖昧さではなく「責任の重さに触れている人の体温」を感じるようになったのです。


防衛大臣は、日々のブリーフィングで“言えない情報”に触れ続けます。


日本周辺の海や空で何が起きているか


それにどう対処しているか


どこまでが公表でき、どこからが機密か


日本の防衛の観点から、他国からさまざまな侵犯があるのにそれらの情報は機密だから国民に言うわけにはいかない。だが、もしものことがあれば決めねばならないし責任も取らなければならない。この矛盾を抱えながら、淡々と判断を積み重ねる日々は、人の内側に忍耐と芯を育てるのだと思います。「守る」と決めて、黙って耐える。ここに“軽さ”が入り込む余地はありません。


小泉さんは横須賀の地で育ち、国防が暮らしの近くにある環境にいた人。それでも、実務の最前線の温度に触れるのは大臣になってからです。生活の延長線上に“現場の重さ”が直に乗ってくるとき、人は初めて自分の言葉を持ち始める。私はその瞬間を見ている気がしています。


「覚醒」とは突如の変身ではなく、内在していた資質が“場”によって育つことなのではないでしょうか。言えないことを抱え、耐え、なお決める。その繰り返しが、子どもっぽさを削り、大人の輪郭をつくる。私はそこに、人が変わるプロセスがあると思います。


結局、私たちの生活も同じなのではないでしょうか。


・どう生きたいかを意思にする


・そのために何を決めるか明確にする


・決めたらやる(言い訳を減らし、行動で積む)


この三点セットを回し続ける人は、静かに強くなる。

人間性が整っていくと申しましょうか、これさえやっとけばなんとかなるような気さえします。


「覚醒したの?」と聞かれれば、私はこう答えます。はい。“内在していたものが、仕事によって成熟に向かっている”のだと。そして、その成熟は特別な人だけのものではなく、私たちの日々の選択の中にも、確かに芽生えうるのではないかとも思えます。誰にだって怒ることです。役割が人を育てると言う人もいますが、彼の場合はまさにそうなのでしょう。そしてその役割を与えた高市首相はマネジメントとして、腕利なのかもしれないと思わざるを得ません。


これからの小泉進次郎さんの変化から目が離せません。楽しみが増えましたね。


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秘密を抱える日々が人を大人にする〜防衛大臣・小泉進次郎はなぜ「覚醒」したのか〜 - 思考のダイアローグ | stand.fm 「覚醒って、ある日いきなりじゃない。」 言えない情報、負えないほどの責任——それでも決める日々が、人の目に重心をつくる。 最近の小泉進次郎さんを観察して、役割が人を育てる瞬間を見た気がしました。 私たちの...
 


自分を変化させる勇気:ルック(見た目)は意志だ

 

ここ最近の私は、毎日せっせと国会中継を見ています。思想や感情は人それぞれ。しかし、丁寧に観察していると「政治って生活のすぐとなりにある」そんな肌感があります。


とりわけおすすめは、今行われている予算委員会。総理への代表質問よりも各大臣への具体的な質疑なので、各議員の切り口や準備力、そして大臣の現場感が見える。いわば“素の実務”が顔を出す場面が多いから、見ていておもしろいんです。キャラクターも見えてくるし、見応えがありますよ。


良いところも悪いところもある。それでも長く政権を担ってきた与党には、保守からリベラルまで幅の広さと、人材の厚みがあるのも事実。(いっとくと、自民党は基本保守政党ですからね)実務は官僚が回すけれど、決めるのは政治。大臣だけでなく、副大臣や政務官、委員会のポスト、そして山ほど必要な“現場の手”があって初めて動く。だからこそ、与党側に“主導できる優秀な人”がどれだけいるかは、やっぱり大きい。もちろん間違いもあるし、ダメダメな人もいるので、だからこそ野党の追及が必要だし、選挙で誰を選ぶかっていうのが大切なんですよ。


ここからは私の“推し語り”。私はずっと高市さんを応援してきました。今回の総裁選、ふと気づいたんです。——高市さんメイクが変わった。眉、リップ、前髪。強さを前面に出す“昭和的きりっとメイク”から、少しエッジを落としてしなやかな強さへ変化しましたよね。「信頼感」が増したように感じました。女性なら「あ、変えたな」って、説明できなくても感覚で分かる変化でしたよね。


男性陣が「変わったの?どこが?」と言っているのも見かけました。いや、そこなんです。女性の観察眼は、生活の中のコミュニケーションと直結している。相手の小さな変化をキャッチして言葉にすることで、距離を縮め、心を汲む。だから、メイクや所作の変化は“決意の言語化”にもなる。そう、ルックは意志なんですよ。


歴代の総理の誰かが言っていました。「総理は明るい方がいい」。なぜか? 希望が連鎖するから。変化の初速はいつも期待で生まれる。期待が現実に落ちていくには時間がかかるけれど、その間を支えるのがリーダーの“明るさ”なのではないでしょうか。明るさは決して軽さではありません。信頼に裏打ちされた前向きさのこと。高市さんのルックの変化から、私はその「明るさを伴う覚悟」を確かに受け取った気がしました。


それに加えてこれは私の原体験なのですが、子どもの頃日本舞踊を習っていて、先生に何度も言われたのが「腰を入れなさい」ということ。腰が座らないと、所作はすべてぶれる。立つ・座る・振り向く。どの一挙手一投足にも芯が通らない。芯が定まれば、動きはなぜか上品に、美しく見える。政治家の“目の力”や“立ち姿”を見ていると、この「腰=芯」を思い出すんです。人は何かをつかんだ瞬間、目にぐっと力が宿る。あれは誤魔化すことができないものです。そんなものも感じました。


人は変われる。諦めないこと、手放すこと


私の特技は「諦めない」ことだと自分で思っています。握りしめすぎて見えなくなりそうなときは、そっと脇に置く。でも、手の届くところに置いておく。ある日ふっと点が線になって、「あ、これかもしれない」と腑に落ちる。そのとき必要なのは、自分を変化させる勇気。手放す・受け入れる・やり尽くす。高市さんのメイクチェンジに、私はその覚悟を見ました。外見の調整は、内側の決意の反映なんですよ。


メイクひとつ、姿勢ひとつ。そこに芯が通ると、見る景色が変わる。政治も、仕事も、家庭も同じ。私たちは日々、小さな選択で自分をつくっています。変化を恐れない。変わるなら何はなくとも勇気が必要です。諦めないで、まずは自分の見た目の変化から取り掛かるのもありかもしれませんよ。



記事を読んでくださって ありがとうございます

自分を変化させる勇気:ルック(見た目)は意志だ - 思考のダイアローグ | stand.fm ここ最近、毎日せっせと国会中継を見ています。 おすすめは予算委員会。各議員の切り口と大臣の“現場感”が見えるのが面白い。 そして今回のテーマは「ルックは意志」。高市さんのメイクの変化から、明るさ=希望、そして“芯を入...
 


ホスピタリティって何だろう?銀行窓口でカードを叩きつけられたらどうする

今日は八王子、珍しく曇り空。

いやぁ、これがまた過ごしやすいのなんのって。

太陽が隠れてくれているだけで、身体がふっと楽になるんですよね。


ここ1週間、10日くらいずっと灼熱続きで、雨も一滴も降らず。ニュースではゲリラ豪雨の映像が流れているのに、うちのあたりはカンカン照り。車の中でも、家の中でも、あの太陽光線と紫外線にじりじり攻められる感じ。暑いとかいう次元を超えて、身体の芯までやられてしまう。


私はもともと体調不良持ちですから、太陽を避けて、どうにかこうにか日々をやり過ごしていたんです。熱が体にこもると下がらなくなって、そうなるともう眠れない。不眠に拍車がかかって、ただでさえ夜中にトイレで起きるのに、細切れの睡眠すら奪われて、ほんと、地獄のようでした。


だから今日の曇りはまさに「雲さまさま」。青空は好きだけど、続きすぎるとしんどいこともあるんですよね。


さて 事件です

そんな中、用事があって銀行に行きました。最近はネットで手続きができることがほとんどで、窓口に行くのなんて滅多にないんですけど、今回は「解約」と「再登録」が必要で、どうしても本人確認がいる手続き。仕方なく足を運んだんです。


最初はコールセンターに電話をして準備をしました。これがとても丁寧でありがたかった。必要な書類や持ち物をきちんと教えてくれて、「あぁ、助かった」と思いました。私はね、気持ちのいい対応をしてもらったときは必ず「良かったです」と本部に伝えるようにしているんです。クレームは世の中にあふれているけど、褒め言葉こそ人を支える力になると思うので。


さて、問題はその後の窓口。

最初に対応してくれたのは、年齢も近そうなベテラン風のAさん。少し不慣れな様子もありつつ、一生懸命で丁寧な方でした。


そのAさんが確認に行ったのが、若くてキリッとしたBさん。明らかに仕事ができるオーラをまとった人。でも、その「できる感」が裏目に出ていたというか、Aさんに指示を出すときの態度や雰囲気にイライラが滲んでいたんです。


手続きの途中で、私の古いキャッシュカードが問題になりました。ICチップが入っていないから暗証番号での確認ができない、と。なるほど仕方ないことだとは思います。


でもね、そのときのBさんの動作。

カードをトレイから持ち上げて、「これじゃダメです」と言いながら、パンッとトレイに叩きつけたんです。


その音を聞いた瞬間、正直カチンときました。

だって、それは私が長年大事に使ってきた銀行のカード。つまり、ずっとその銀行を使い続けてきた客の証でもあるわけですよね。それを、軽くとはいえ叩きつける? それは違うんじゃないか、と。


その場で立ち上がって、「ちょっと、それは失礼じゃないですか?」と声をあげそうになったけれど、やめました。もし私が強く言えば、矛先がAさんに向かうような気がしたからです。怒りを処理できない人って、自分より弱い立場に向けてしまうことがあるじゃないですか。


だからこそ、逆に人間観察をしてしまいましたよ。

Bさんはお客(ワタシ)に怒りをぶつけられない、かといって自分で消化もできない。それが態度や手癖に現れてしまった。つまり「思いやりの想像力」が働かなかったんだと思うんです。


ホスピタリティとはなんぞや?

この出来事から改めて考えたのは「ホスピタリティ」ってなんだろう、ということ。


ホスピタリティとは、相手を大切に思う心が自然に行動に表れることだと私は思います。

特に銀行やホテルのように「信頼」で成り立っている場所では、安心感を与えることが何よりも大切です。


もちろん人間だから、体調が悪いときやイライラするときはある。だけど、それを仕事中にコントロールできなかったら──少なくとも「一期一会の場」である窓口や接客業では、大きな問題になってしまう。


人の思いは行動に出る。だからこそ、相手に見せてはいけない一瞬の感情というものがあるならそれはどんなに小さくても出してはならないのではないでしょうか。


人が人を思う

私自身、感情がすぐ顔に出てしまうタイプです。

嘘をつくのも下手。

だからこそ、仕事では緊張感を持って、出す表情と出さない表情を選んでいます。

でも日常ではなかなか難しいこともあります。気が緩んでますから、つい本音が滲んでしまう。


人が人を思う心は行動に出るものです。

ホスピタリティとは、その「一瞬の反応」まで含めて、相手に安心と信頼を与えられるかどうかがキモになると思います。


今日の銀行での出来事を通して、あらためて自分にも問いかけました。

「自分は、相手を大切にできているだろうか?」

「感情に振り回されていないだろうか?」


ホスピタリティは特別なスキルではなく、人としての思いやりの延長線上にあるんだなと、曇り空の帰り道にしみじみ思いました。


記事を読んでくださって ありがとうございます


ホスピタリティって何だろう?銀行窓口でカードを叩きつけられたらどうする - 思考のダイアローグ | stand.fm 「ホスピタリティって何だろう?」 そんなことを銀行の窓口で考えてしまいました。 人の思いは、ふとした仕草や一瞬の表情に現れるもの。 信頼や安心は、そうした小さな場面の積み重ねで育まれるのだなぁと感じました...
 

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