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雑感の智慧

卒業式の思い出は音楽と共に

最近送り迎えの時、人が少ないなぁなんて思っていたら、学生さんは春休みなんですね。

夫は定年退職して、私も家仕事なのでもう曜日感覚とか月日感覚がどんどん退化しております。


そういえば数日前に胸にコサージュつけた学生さんが歩いてたな。あれは卒業式に違いない。と、今日は卒業式の思い出についてのお話。


最近といってももう数年前になりますが、息子が大学を卒業してしまって、そういうものからは縁遠くなってしまいました。私の中では子供の保護者としての現役は高校卒業までと決めていたので、大学の入学式も卒業式も息子だけの出席でした。最近の大学は親に成績も送られてくるし、個人面談のようなものも希望すればやってくれるようで、お知らせが来た時は驚きました。なんとも手厚いというか、なんというか。過保護すぎる気がするのは、私だけでしょうか?


自分の卒業式の思い出といえば、式の途中に流れる音楽です。特に覚えているのは中学の卒業証書授与の時に流れていたエルガーの威風堂々です。場の雰囲気にとても合っていて、タイトルからもこの音楽を選んだ先生の気持ちが感じられて、感動したのを覚えています。思い出と音楽は、セットで記憶に残っていて、その時の音楽を聴くとあの時の気持ちも思い出されるようで、感動してしまいます。





卒業式の思い出は音楽と共に - 思考のダイアローグ | stand.fm 3月は出会いと別れの季節ですね。式典の思い出は自分の時と、子どもたちのものに参加したのでは感じるものが違ってきます。 *考え方の癖、認知の歪みで自分を苦しめていませんか?
それらを修正する方法をお教えします ...
 


庭に自生する春のお味

庭のある一軒家に住んでいると、庭やら家やらのお手入れをしなければならないのですが、私はこの庭木のお世話がとても苦手です。


根が真面目なので、最初はちゃんとやろうと色々調べたり、人に聞いたりしてやってはみたものの、まぁ根っこのあるものはどんどん元気がなくなっていって枯れたり腐ったりしてしまいます・・・


草木を育てるのがとてもうまい友人がいるのですが、そういう人を「緑の手の持ち主」だと聞いたことがありますが、私は真逆ですね。自分の発するエネルギーが強過ぎるんだか、植物には合わないんだかわかりませんが、とにかく全くお世話にならないので、数年前に自分でやるのは諦めて、植木屋さんにお任せすることにしました。


普段はほったらかしの庭ですが、なぜかほったらかしにしても梅と柿だけは実をつけて、春にはふきのとうが勝手に生えてきます。

我が家の春は、このふきのとうがお知らせしてくれるようなもので、生えてくるとつんで天ぷらや蕗味噌にして春を味わいます。


最近は四季が曖昧になってきたように感じます。特に春と秋はあっという間に過ぎていってしまうようです。そんな短い季節を感じるのに、季節の味覚はありがたいものですね。

季節の移り変わりを感じる余裕も持ちながら、生活したいものです。




庭に自生する春のお味 - 思考のダイアローグ | stand.fm 今日はもう夏の気温ですね。 我が家の庭には春の味覚が自生しています。この時期になると見つけてはとって食卓にならぶ春のお味です。 *考え方の癖、認知の歪みで自分を苦しめていませんか?
それらを修正する方法...
 



毎日の食事は美味しくなくていい




私は母子家庭育ちで、母が夜勤で家を開ける時は私が家事を引き受けていました。

最初の頃は私も小学生でしたので、母も食事を作って置いていってくれたりしていましたが、だんだん仕事も忙しくなり母も疲れていたのもあって、私が食事も作ることに。

下に兄弟もいたので、必要に迫られて家事をするようになったので、私はいまだに家事が苦手で、やらないで済むならやるたくないなぁと毎日思っています。


特に苦手というか苦痛なのが食事を作ることで、そもそもあまりセンスがいい方でもないので、美味しいものも作れません。息子たちにはよく

「お母さん、今日の〇〇、味がブレてるよ。。」

と言われる始末。

悲しい。


でもそれなりにやってはいるのですが、苦しさは変わらない。

そんな時、料理家の土井善晴先生のご本に



毎日美味しいものなんて作らなくていい

美味しいものなら外食で、お金を出せばいくらでも食べられる

毎日の食事は、美味しくなくていい

それなりの味であれば、毎日続けられるし、それが家庭の味なんだからそれでいい



みたいなことが書いてあって、救われたんですよ。


そっか、美味しくなくていいんだ。

毎日それなりで作ってる私、偉いよね、と。


どこかちゃんとやらなくちゃとか、美味しいものを食べさせなくちゃとか、なんだそれ、どこの誰理論??みたいなものに巻かれてしまっていましたよね。

日常は淡々と過ぎていくものだし、そうあるもの。

そんな力入れて、ちゃんとやらなきゃって、誰得なんだよって話です。


もっと肩の力抜いてねー、って必死だった以前の私に言ってあげたい。



毎日の食事は美味しくなくていい - 思考のダイアローグ | stand.fm ヤングケアラーだったので、家事があまり好きではありません。特に食事作りがかなり苦手。それでもやらねばならない時に、助けられた言葉がありました。 *考え方の癖、認知の歪みで自分を苦しめていませんか?
それらを修正する...
 



ヘルプマークをつけたくないんだよ

赤字に白い十字とハートのマークの「ヘルプマーク」

つけている方が増えたような気がします。


私が気にしているからか、無意識にヘルプマークを目で追ってしまったりしています。


ヘルプマーク|障害者施策|東京都福祉局 東京都福祉局のヘルプマーク(障害者施策)のページです。
 




基本的な対象者は

義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、妊娠初期の方など、援助や配慮を必要としている方


らしいので、私も難病だし対象者ではあるので、つけたほうがもしもの時に周りの方のサポートが受けやすいのは重々わかってはいるのですが、どうしてもつけることに一歩踏み出せないでいます。


ずーっとどうしてつけたくないのかと自問自答しているのですが、

「もしかしたら迷惑をかけるかもしれません」

と言いふらしているように見えるからなのかなと思ったりしています。


それとヘルプマークをつけている人が自分は弱者なので、助けてもらうのは当然だという態度でいると思えるからなのかもしれません。決してそんなことはないと信じたいですが、電車など利用していると、「ヘルプマークが見えないのか!」なんて一般の人に粘着している人を見かけたりすることもあって、「あぁいう人とひとくくりにされたくない」と思うところもあります。


病気も障害も個性の一つだし、弱い立場の人を思いやることはやるに越したことはないと思います。でもどこかで、迷惑をかけたくないと思う気持ちもあって、なんだかすっきりしません。


これも私のただのこだわりでしかないので、つけてしまえばなんてことはないのかもしれません。でもあまり見せびらかしたくないんですよね。できればわからないままでいてほしい。そう思ってしまいます。


ヘルプマークをつけたくないんだよ - 思考のダイアローグ | stand.fm 持病が多いので、本当はヘルプマークつけてる方がいいんだと思うんですけれど、なんだかつけるのに抵抗があるんです。弱さを見せびらかしているように思えるからなんでしょうか。そんなことないはずなんだけどなぁ。
 


お彼岸はご先祖様を応援する日

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、昨日は朝から雪でとても寒い1日でしたが、今日から暖かくなるようです。

温度差が花を咲かせますから、桜もあっという間に咲き始めるかもしれませんね。ちょっと楽しみです。


春分の日はお彼岸ですから、お墓参りに出かけられる方もいらっしゃるでしょう。

私も家族で出かけますが、わざわざお墓に足を向けるのも意味のないことではありません。


ご先祖のことを考えるのは、普段日常に埋没している私たちの気持ちをリセットするにはいいことかもしれません。自分自身のルーツですからね。私はなんで生まれたんだろう、何をするのだろうなんて普段考えないことも、考えてみるのも良いでしょう。


自分の心のためにお墓参りをするのも一つの考え方ですが、仏教的にはお墓でご先祖のことを思って手を合わせる行為は、あの世でまだまだ修行している亡くなった方たちを応援するためだとも言われています。

死んでもなお悟るために修行なのかい!という感じではありますが、応援するのも悪いことではありません。

手を合わせる時、そんなことも思い出してみてみてください。


お彼岸はご先祖様を応援する日 - 思考のダイアローグ | stand.fm 今日を区切りに暖かくなるようです。お墓参りにはいかれましたか?お墓がなくとも、お彼岸には自分のルーツでもあるご先祖に手を合わせてみませんか。
 


小田原梅まつり 行ってみた


先月 夫とブラブラと梅まつりに行ってきました

八王子から小田原って

結構近いんですね

日常にちょっとした非日常が入り込むのって

不思議な感覚と共に ワクワクもあって

楽しいです


子供が巣立って

夫が退職して

これが自由ってやつでしょうか

人生の中で 子育ての時期はせいぜい20年
子育て中は何でも必死で
早く大きくならないかと思いましたが
終われば結局 夫婦二人きりなんですよね


N党立花氏は反省を活かせているのか?



反省を生かす生き方について



みなさんこんにちは。今日は、私自身が考えさせられた出来事をもとに、反省の大切さや、それをどのように生かしていくべきかについてお話ししたいと思います。

最近、ある事件をめぐる話題が多く取り上げられています。その中で、特定の人物が情報を発信し、それが事実ではなかったことが後になって明らかになるという事例がありました。その方は、その誤りを認め、謝罪をしました。謝るという行動自体はとても勇気がいることで、誠実さの現れともいえます。しかし、その方は過去にも同じような誤った情報を発信した経験があり、その際も謝罪をしています。それでも、再び同じ過ちを繰り返してしまったことに、私は深い疑問と共に大きな学びを感じました。

過ちを繰り返さないために必要なこと


私たちは誰しも失敗をします。それ自体は悪いことではありません。むしろ、失敗から学び、成長することこそが大切なのです。ですが、その反省が生かされず、同じ過ちを繰り返してしまうとしたら、それは本当の意味での成長にはつながりません。反省を生かすためには、次のようなステップが必要だと感じます。

深く考え、学ぶ

ただ「ごめんなさい」と謝るだけではなく、なぜその過ちを犯してしまったのか、どのようにすれば次に繰り返さないかを深く考えることが重要です。

自分を見つめ直す

人は感情的に反応してしまいがちです。しかし、情報を収集し、慎重に判断する冷静さを持つことが求められます。特に、多くの人に影響を与える立場の人には、この冷静さが不可欠です。

行動に移す

反省したことを実際の行動に反映させることが大切です。反省は言葉だけではなく、その後の行動で示すものだからです。


インフルエンサーの影響力と責任


今回の事例では、情報発信者の影響力の大きさについて改めて考えさせられました。彼の自信に満ちた発言が、真実であるかのように受け取られ、多くの人々を動かしました。その結果、誤った情報が広まり、影響を受けた方々が精神的に追い詰められてしまった可能性もあります。

インフルエンサーやリーダーといった立場の人は、その影響力が強いからこそ、情報の精査や慎重な発信が求められます。スピード感が重要視される現代だからこそ、正確性を優先する姿勢が大切なのではないでしょうか。


私たちができること


一方で、私たち自身も情報を受け取る側として、冷静な判断を心がける必要があります。感情的に反応するのではなく、一度立ち止まり、その情報が本当に正しいのかを考える癖をつけることが大切です。また、日常の中で起きる小さな失敗についても、自分なりに振り返り、その経験を生かしていくことが、私たちの成長につながります。


反省を未来につなげるために


失敗を反省し、それを繰り返さないための行動をとることは簡単ではありません。それでも、私たちは反省を心の中にピン止めし、そこから学ぶことで、より良い未来を築くことができるのです。私自身も、過去の失敗を改めて見つめ直し、それを忘れないように心がけています。

最終的には、私たち一人ひとりの選択と行動が、この世界をより良い場所にしていくのではないでしょうか。小さな反省の積み重ねが、優しさと調和に満ちた社会を作る第一歩だと信じています。


「令和七年・巳年」で今年何が起きるのかを大予想


新しい年を迎え、令和7年がスタートしました。

この「7」という数字には「刀」の象徴、つまり「切る」という意味があると言われています。

それは物事を切り替える年であり、新たな始まりを迎える象徴的な年とも言えるでしょう。


昨年の令和6年は、過去の慣習や問題点が明るみに出る年でした。それらを踏まえ、今年は「終わらせるべきものを終わらせ、新しいものを始める」という行動が求められる年になりそうです。


昨今、政治や経済の分野でも見えていなかった問題が明らかになり、多くの人がその事実に気づき始めています。これまで「誰かがやってくれるだろう」と傍観していた多くの人々が、自分自身の意志を持ち、行動する重要性を実感し始めています。今年はその「気づき」をさらに一歩進め、具体的な行動へとつなげる年となるでしょう。個人が自分たちの意思を持ち、変化に向けて行動することで、社会全体が切り替わり、新しい時代を創っていけるかもしれません。


また、令和7年は干支で「巳年」、つまり蛇の年でもあります。

昨年の「辰年」は理想や夢を抱く年でしたが、それを現実の世界で形にするのが今年のテーマです。夢を現実化するには、「具体的にどう行動するか」を考えることが必要です。大切なのは、自分が何を成し遂げたいのかだけでなく、それを成し遂げた先にどのような自分でありたいのか、という「ビジョン」を持つことです。


多くの人が目標や目的を掲げることがありますが、それはあくまで途中のステップに過ぎません。本当に重要なのは、「目的を果たした先に何を得るのか」、つまり人生の中で自分がどうありたいかを考えることです。目標を持つことは第一歩として大切ですが、それにとらわれるのではなく、さらにその先のビジョンを明確にすることで、人生の可能性を無限に広げていけます。

今年は、「目標を叶えるための行動」に集中しがちな一年になりやすいかもしれません。しかし、その目標の先にある自分のビジョンや、どんな生き方をしたいのかを意識することで、より豊かで充実した人生を築くことができます。夢を形にするために必要なのは、自分自身が毎日の生活や行動を通じて、それを作り上げていく力です。そして、その力は一人ひとりの思いがエネルギーとして世界に反映されることで、現実を変える可能性を秘めています。

新しい年が始まった今、ぜひ「今年はこう過ごそう」という目標を掲げつつ、その先にある自分の未来像を描いてみてください。そのビジョンが明確であれば、日々の生活を楽しみながら自然と目標が達成され、さらに大きな夢が実現する流れを引き寄せられるでしょう。

2025年、令和7年は切り替わりの年です。「終わり」は新しい始まりのサインです。今年1年をどう過ごすか、自分自身に問いかけながら新たな一歩を踏み出しましょう。

自称霊能者の腹の立ったひとこと


先日お知り合いの方から聞いたお話で、ある方が長くお付き合いのある自称霊能者さんに

「あなたは間違った親のもとに生まれたんだ」

と言われたという。


そのかたは親御さんとの関係で悩まれていて、それを相談した時にことなんだろうけれど、私はそれを聞いてとても腹が立った。


ひとつには私は人生に間違いなどないと思っているから。

どんな毒親だろうとどんな不遇な環境だろうと、それが人の生きる様だし、そこから何か掴んで立ち上がってこその人生ではないですか。だいたい誰が間違えたんだよ。自分が間違えたとして、それを修正できない今、間違ってたんだ^そうですかってどう納得するっていうんですか。

自己責任だっていうんですか。

何ですかそのどうしょうもない考え方。


もう無性に腹が立ちます。


そんなこと言う自称霊能者が、そもそもお前何様だって話。

そんなこと言い放つなら、ちゃんと最後まで責任持って自己責任を本人が納得してやり遂げるまでお付き合いしたらいいのに。それもしないで、相談者に丸投げは人間性を疑ってしまいます。


根拠がないから霊能力なのかもしれませんけれど、自分ではどうにもならないことを本人のせい呼ばわりそするのはいかがなものかと思いますよ。


神社参拝 雨が降るのはお清めです


昨日、関東地方では久しぶりの本格的な雨が降りました。この1か月ほど雨が全く降らなかったので、空気も乾燥しており、ようやく潤いを感じることができて心がほっとしました。私の名前が「梅雨子」ということもあり、昔から雨が嫌いになれません。雨が降ると、不思議と心が暖かくなります。


神社参拝と雨のつながり

 

昨日石破総理が伊勢神宮を参拝された際に雨が降ったという話題を目にしました。一部では「雨が降るのはよくない兆候では?」という意見もありましたが、私はむしろ逆の見方をしています。神社参拝時に雨や雪が降るのは、私たちの心身を清めるための神様からの贈り物なのです。

私は参拝する瞬間に雨が止むことや、人が一時的に引いて神様と1対1で向き合える瞬間が訪れるなど、不思議な出来事を何度も体験してきました。これらは、私たちの行動が「正しい道にある」というサインのように思えます。


雨を思い変える

 

雨の日は足元が悪く、濡れるのが嫌でつい気分が下がりがちです。しかし、私は雨を「清め」と捉えることで前向きに考えるようにしています。雨の日に出かけるときは、「これも神様が私を清めてくださるありがたい恵みだ」と思うと、不思議と気持ちが晴れやかになるのです。

このような思考法は、日常生活にも応用できます。例えば、誰かに注意を受けたり批判されたとき、一瞬は不愉快に感じることがあるかもしれません。でも、その出来事を「自分の成長のきっかけを与えてもらった」と思い返すと、気持ちが軽くなります。これは単なるポジティブシンキングではなく、感情を受け止めたうえで、自分にとってプラスになる視点に上書きするという考え方です。


雨が清めとしての役割を果たすことは、歴史的にも示されています。例えば、天皇即位の礼の際に降った雨が儀式の後に止み、虹がかかったという話は有名です。また、昭和天皇の崩御の際にも雨が降りました。これらの雨は、日本という国がいかに神々の加護を受けているかを象徴しているように思えます。


神様の導きや自然の現象を通じて、私たちは「自分軸」を確認することができます。雨が降る、雪が降るといった出来事も、自分が進んでいる方向性が正しいかどうかを見直す良いきっかけになるのです。


日々の生活で起こる小さな不快感やネガティブな出来事も、「お清め」や「気づきの機会」として捉えると、見える景色が変わります。雨が降る日は、ただ濡れるだけの日ではなく、自分の心を整え、再スタートするチャンスと考えてみてください。


今日も最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ雨の日にはその恵みを感じながら、清々しい気持ちでお過ごしください。


参拝時に雨が降るのはお清めです - 思考のダイアローグ | stand.fm 石破総理が伊勢神宮に参拝されたそうですね。その時雨が降っていたのは、お清めです。そういうことみなさんもありませんか?現象は神ですからね。 *考え方の癖、認知の歪みで自分を苦しめていませんか?
それらを修正する方法を...
 


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