本日は棋士の藤井聡太さんのニュースを見て思ったことをお話しします。
藤井聡太さんは現在八間冠 (竜王・名人・王位・叡王・王座・棋王・王将・棋聖)全ての将棋のタイトルを持っている素晴らしい棋士です。彼の対局を見ていると、将棋の世界が私たちの人生や世界観に似ているのではないかと思いました。
将棋と未来の選択
今回の叡王戦の対局を見ていると、彼が一手を指すその先には無限の指し手が広がっている。その瞬間瞬間の選択が将棋の未来を形作るのです。これは私たちの人生と似ていると思います。どんな選択をするかによって未来が枝分かれし、無限の可能性が広がります。その中の一つを私たちは生きているのです。
例えば、藤井さんが一手を指す瞬間、彼の頭の中には何通りもの未来が見えているでしょう。それを予測し、最善の一手を選ぶためには膨大な経験と知識が必要です。将棋の対局は単なる勝ち負けではなく、その背後には多くの経験と知恵が詰まっているのです。
平行世界とマルチバース
将棋の未来の選択が枝分かれする様子は、平行世界やマルチバースの考え方に似ています。物理学の世界では、私たちがいる宇宙以外にも無数の平行宇宙が存在し、異なる選択をした結果が別の宇宙を生み出しているという考え方があります。将棋も同じで、異なる一手を指すことで異なる未来が生まれるのです。
このような考え方は、将棋の対局を見るときに非常に魅力的に映ります。「防衛か陥落か」という彼の勝敗というシンプルな結果を見ているだけでは薄っぺらくて、彼らに失礼な気さえします。
勝ち負けと人生の比喩
将棋の対局は勝ち負けの世界ですが、その過程には豊かな経験と知識が詰まっています。勝つためには膨大な経験と知識が必要であり、それを積み重ねることが大切です。これもまた、私たちの人生と同じです。日々の生活や仕事、人間関係など、あらゆる場面で経験と知識を積み重ね、それを元に最善の選択をしていくことが求められます。
勝ち負けだけに囚われず、その過程を大切にすることが重要です。例えば、部活動や習い事では、勝つために努力を重ねることが求められますが、その過程で得られる達成感や満足感が大切です。将棋も同じで、ただ勝つためだけではなく、その過程で得られる経験や知識が重要なのです。
楽しみと達成感の関係
楽しいだけではなく、その先にある達成感や満足感を求めることもありますね。将棋の対局も楽しいだけではなく、勝つためには苦しい努力が必要です。その努力の先にある達成感や満足感が、将棋を続ける理由の一つでしょう。これもまた、私たちの人生に通じるものがあります。日々の生活や仕事で努力を重ね、その先にある達成感や満足感を求めることで、より豊かな人生を送ることができるのではないでしょうか。
勝負の世界は確かに結果が重要ですが、その結果に至るまでの過程も同じくらい重要なのです。
勝負の世界では、勝つ人は一握りです。しかし、勝つためには多くの努力と経験が必要です。そして、その努力の過程で得られるものが、私たちにとって本当に大切なものなのです。勝つことも負けることも、全てが私たちの成長につながります。
将棋の対局を通じて、私は勝ち負けだけでなく、その過程を大切にし、自分の成長を感じることの重要性を再認識しました。将棋は単なるゲームではなく、私たちの人生においても多くの教訓を与えてくれるものです。藤井壮太さんの姿を見て、私たちも自分自身の人生において一生懸命努力し、達成感や満足感を求め続けることが大切だと感じました。
伝わる人に伝われ! という感じのお話になりましたが、本日はこの辺でおしまいにしたいと思います。ではまた次回お会いしましょう。
異界との接点
こんにちは、皆さん。今日は少しスピリチュアルな話をしようと思います。
私は以前スピリチュアリストとして働いていた時期がありました。
スピリチュアルな感覚や体験は個人の主観に大きく依存しています。例えば、絵を描くのが得意な人もいれば、歌うのが上手な人もいるように、霊的な感覚を持つことも一種の才能や特技なのかもしれません。自分が感じたり見えたりすることが全て正しいわけではなく、勘違いや思い込みであることも多々あります。だからこそ、霊能者やスピリチュアリストの言葉を全て鵜呑みにするのではなく、一つの意見として受け取ることが大切です。懐疑的であることは悪いことではありませんよ。依存させられたり、洗脳されるよりずっとマシです。
異界の体験
異界の話を聞いたことがありますか?
例えば、山中で迷っていると突然家が現れ、親切な人々がもてなしてくれるが、そこから出られなくなるというような話し。実は、私も異界のような体験をしたことがあります。
奈良県の天川村には「天河弁財天」という神社があります。看護学生の頃、その神社に行くようにと言われる夢を見て、調べたら実在する神社だったので行ってみることにしました。吉野の山のそのまた山奥にあり、1日にバスが2本しかない場所です。電車とバスを乗り継いでようやくたどり着いたその神社は、芸術の神様として有名で、能の舞台と社殿が一体化している美しい神社でした。
ある日、その村を散歩していると突然雨が降り始め、傘をさして歩いていると音が消えました。雨の音も、自分の足音も、全てが無音になり、不思議な感覚に包まれました。恐怖は感じず、何かに守られているような感覚でしたが、これは現実ではないと直感し、その場で立ち止まりました。すると数秒後、音が戻ってきたのです。あのまま立ち止まらず歩き続けていたらあちらの世界に行っていたかもしれません。異界らしきところに接した不思議な体験でした。
異界との接点は、日常生活の中でふと現れることがあります。特に、夜や朝方にその存在を感じることが多いようです。こうした経験は、タイミングや感覚が合わないと気づかないことが多いのですが、もし異界のような感覚を感じたら、無理に進まず一度立ち止まって自分お感覚を確認し、少しでも違和感を感じたら進まないようにしてください。
スピリチュアルな世界に興味を持つことは素晴らしいですが、その世界に足を踏み入れる際には十分な準備と注意が必要です。例えば、いきなり富士山に登ることはしないように、スピリチュアルな世界に対しても慎重になるべきです。安全な環境で少しずつ体験を重ねることで、自分の感覚を鍛えなければ手を出すことは危険かもしれません。神仏は感情がありません。だからこそやることもいうことも忖度はなく、「こうするよ。こうなるよね」と全てが結果に忠実で真っ直ぐだからこそ、私たちには厳しく苦しさを伴うものがほとんどです。
優しいメッセージなどはありません。そこにある正しさ(ありのまま)があるだけです。
スピリチュアルを楽しく人を癒してくれる魔法のようなものだと思っているのでしたら、その考えはいますぐ改める必要があるかもしれません。
私たちは魂と肉体のハイブリッドな存在であり、異界の存在を感じることもあるでしょう。しかし、その感覚を大切にしつつも、現実世界を基盤として生活いたしましょう。
今日は先日参加した仏教行事「お施餓鬼(おせがき)」についてお話ししたいと思います。私は無宗教の立場ですが、田舎の長男の嫁でもあるので、お墓を守ることもやらねばなりません。ご先祖様とのつながりは息子たちにも伝えたいことなので大切にしています。
私たちは、魂と肉体のハイブリット。ご先祖様のDNAのおかげで肉体を持ち存在することができています。そう考えるとご先祖に感謝しなければと思いませんか。
お施餓鬼とは
私の家は禅宗の曹洞宗に属しており、毎年6月頃にお寺でお施餓鬼があります。この行事では、自分のご先祖様だけでなく、無縁仏や小動物、さらには関係のない命に対しても供養を行います。お釈迦様の逸話にもあるように、無縁の霊に対しても手を合わせ供養することが大切だとされています。私はすべての生きとし生けるものに感謝し、命をいただくことへの感謝を込めて供養させていただいています。本来の仏教の教えとは趣旨がちょっと違うのかもしれませんが。
お施餓鬼は
お釈迦様の弟子が夢で見た六道の餓鬼の話が始まりなのだそうです。
釈迦の弟子のところに餓鬼が飢えに苦しみ、救いを求めて現れます。弟子はお釈迦様にどうすれば餓鬼たちを救えるか尋ねると、お釈迦様は多くの人々と共に祈り供養することで救えると教えました。それでお寺には多くのお坊さんが集まり、檀家の人たちも集まってお経をあげて祈ります。
年に一度でもこのような行事に参加することで、私は心がすっきりと浄化されるような感覚を覚えます。
おもしろいことにお施餓鬼の日は雨になることが多いのです。今年はとてもよく晴れていましたが、私は雨が降ることは悪いことではなく、神仏様が降らせてくれる浄化の雨なのかもしれないと思ったりいたします。これも思い換えですね。
先日は天気が良く、蝶々や蜂、鳥などの小動物が多く見られました。小動物も供養するという意識があるため、自然と小動物に目が向きます。自然の山の中にあるお寺なので小さな命にも触れ合える1日でした。
日本人のアニミズム信仰
日本人は神道、仏教、その他の信仰を自然に取り入れながら生活しています。生まれた時は神社でお宮参りをし、亡くなる時は仏様に手を合わせる。また、正月には神社に参拝し、クリスマスを祝い、年末には除夜の鐘をつきます。このように、さまざまな宗教観が文化として根付いているのが日本の特徴です。すべての命に感謝し、日々の生活に自然に取り入れている「いただきます」や「ごちそうさま」、そして「ありがとうございます」という言葉。これらは自然信仰やアミニズムの精神が豊かな日本文化の一部なのではないでしょうか。
時には、無意識に行っているこれらの行動を意識してみることで、新たな気づきが得られるかもしれません。皆さんもぜひ、自分の行動や習慣を振り返り、命の大切さや感謝の気持ちを再認識してみてください。
*アニミズム信仰とは
アニミズム(animism)とは、人間以外の生物を含む、木や石など、すべての物のなかに魂が宿っているという思想や信仰のこと。ラテン語で霊魂を意味する「アニマ(anima)」からつくられた用語で、世界各地のさまざまな民族の宗教や風習に見られる。
このアニミズムは、実際にアニミズムを信仰する人々が使用する用語ではなく、人類学研究において構築された概念である。
在処塾修了生との幸せな再会
今日は、先日行った在処塾修了生とのお食事会のお話をさせていただきます。今年の8月で在処を設立してからちょうど8年が経ちます。これまでに約50人の方が在処塾を修了し、日々「楽園志向」で幸せに過ごしているはずです。
私は半年ほど体調を崩して発信を控えていましたが、5月30日の誕生日に修了生の皆さんに声をかけたところ、平日の真昼間にも関わらず7名の方が八王子まで集まってくださいました。私を含めて8名での楽しい洋食ランチとなりました。
久しぶりに皆さんと会うことができ、本当に嬉しかったです。コロナ禍の影響もあり、直接会う機会が減っていたので、顔を合わせておしゃべりできるのはやはり格別ですね。
在処塾は一般的な自己啓発セミナーとは違い、1対1で深く個人に向き合う形式です。受講者それぞれ完全オリジナルメニューを提供しており、深い自己探求を行っています。
この取り組みを通じて、皆さんが自分の内面に向き合い、整理することができるようになります。そして、その結果として、修了生の皆さんが自分の納得した答えをオープンに話せるようになるのです。自分の過去の黒歴史や、トラウマとしてかかえているものを人に話せるようになるほどですこれは単なる自己開示ではなく、自分の感情や過去の出来事をしっかりと理解し、整理し納得すること。正解か誤りかではなくその人にとっての「納得解」を見つけるプロセスです。
半年ほど自分に向き合った後、皆さんには必ず変化が訪れます。修了生たちが集まる場では、自分の納得を素直に話せるので、皆さん自然体で楽しい時間を過ごすことができます。
今回のお食事会では、洋食をいただきました。中には赤ちゃんがいる方もいらして、その方も夏に出産予定です。久しぶりに会えてとても嬉しかったです。お食事はオムライスやお魚料理を楽しみました。メニューを決める時も、皆さんそれぞれの好みを尊重しながら決断していて、その姿勢がとても素敵でした。
自分が何を食べたいかを選ぶことも、自分を知る一つの方法です。自分の感覚を大切にし、毎日の選択を心地よく過ごすことが、充実した人生につながるのだと改めて感じました。
皆さん、毎日を自分の感覚に従って選び取っていますか?
もし選べない状況があるなら、それを嫌だと言う勇気を持っていますか?
この繰り返しが、私たちの人生に変化をもたらします。
の感覚を信じて、流されずに生きていきましょう。
今回の再会で、皆さんが自分をしっかりと知り、自分の選択に自信を持っている姿を見て、私は本当に幸せな気持ちになりました。素敵な皆さんとの時間は、私にとって大切な宝物です。これからも皆さんが心地よく過ごせる選択をし続けてほしいと願っています。
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