正月三が日を避けて、週末に栃木の実家に帰りました。
今年は長男のユウさんがいっしょでしたが、彼に「お母さんの兄弟って交戦的だよね」と一言。
交戦的というよりは、よくしゃべるし何でも忖度なく話すので、そう聞こえるのかも知れません。
もともと私たち家族は母子家庭で、母は仕事で忙しかったですし、そういうところで何か問題があれば自分たちで解決することが常でした。あとは母に面倒をかけさせてくなかったということもあったでしょうけれど。そいうことから何でも話すようになったのかも知れません。私も今は主人と結婚して新しく家族ができて、年もとりましたからなんでもいうようなことはなくなりましたが、実家に帰ると昔に戻ってしまうのでしょう。
過去の友人に会ったり、以前住んでいた場所に戻ったりすると昔の自分が蘇ってしまいます。一度つくられた習慣は消えるものではありません。環境に合わせて復活してしまうこともあるでしょう。でもそれを感じると、今の自分との違いを感じることもあります。あぁ今はもう違うんだな、とちょうどいい自分を確認する機会にもなるようです。
今年は年明けから地震、事故、火災、通り魔事件と災厄が降り注いでいます。
特に災害の時は何かできないかと思うのは当たり前のことですが、直後はプロに任せることが一番スムーズにことが進みます。素人は邪魔をしないことが大切です。
それでも、何かしたいと考えるのは、人として当然です。
そんな気持ちの落ち着かない時は、祈ってみてはどうでしょう。
「祈ったところで何にもならない。現実的に行動したほうがいい」
それは確かにそうなのです。
でも今どこかで悲しく不安な気持ちになっている人がたくさんいて、動かないほうがいいこともある時期なら何ができるかって言ったら、祈ることしかないではないですか。
人は肉体と魂のハイブリットです。フィジカルの肉体でできることが行動で、それができないときは魂のことをやったらいいんですよ。
祈りは魂の繋がり、心の問題です。
祈りで何か急に変わることはないかも知れませんが、何もしないより鎮魂の祈りで心を伝えたらいいと思います。
役に立つかどうかより、やらないよりやったほうがマシって考え方もこういう時はありなんじゃないでしょうか。
私は祈りますよ。
少しでも1日でも早く安寧な時間が戻ってきますように。