本日の話は、最近よく耳にする「小泉進次郎さん、覚醒した?」という噂について。これは私が日々の観察とセッション経験から感じた個人的な考察=ほぼ独り言です。事実の断定ではなく、「この人、こうなんじゃない?」という読み物としてお楽しみください。
“軽い”“中身が見えない”“軽い神輿は担ぎやすい”など今まで小泉さんには、そんなあまり良いとは言えない評価があったように思います。私もあまり良い印象はありませんでした。見た目の華やかさや立ち振る舞いの良さはある。でも、「政治家として何を成し遂げたいのか」「どの場面でどこまで腹を括るのか」が見えにくかった。日本人はイメージに振り回されやすい国民性もあるからこそ、私はずっと不安だったのです。
ところが最近の記者会見や、予算委員会の質疑でカメラが抜かれるたびに思うのは、表情が変わったということ。ドヤ顔ではない。けれど、目が座っている。短い言葉の端々に、曖昧さではなく「責任の重さに触れている人の体温」を感じるようになったのです。
防衛大臣は、日々のブリーフィングで“言えない情報”に触れ続けます。
日本周辺の海や空で何が起きているか
それにどう対処しているか
どこまでが公表でき、どこからが機密か
日本の防衛の観点から、他国からさまざまな侵犯があるのにそれらの情報は機密だから国民に言うわけにはいかない。だが、もしものことがあれば決めねばならないし責任も取らなければならない。この矛盾を抱えながら、淡々と判断を積み重ねる日々は、人の内側に忍耐と芯を育てるのだと思います。「守る」と決めて、黙って耐える。ここに“軽さ”が入り込む余地はありません。
小泉さんは横須賀の地で育ち、国防が暮らしの近くにある環境にいた人。それでも、実務の最前線の温度に触れるのは大臣になってからです。生活の延長線上に“現場の重さ”が直に乗ってくるとき、人は初めて自分の言葉を持ち始める。私はその瞬間を見ている気がしています。
「覚醒」とは突如の変身ではなく、内在していた資質が“場”によって育つことなのではないでしょうか。言えないことを抱え、耐え、なお決める。その繰り返しが、子どもっぽさを削り、大人の輪郭をつくる。私はそこに、人が変わるプロセスがあると思います。
結局、私たちの生活も同じなのではないでしょうか。
・どう生きたいかを意思にする
・そのために何を決めるか明確にする
・決めたらやる(言い訳を減らし、行動で積む)
この三点セットを回し続ける人は、静かに強くなる。
人間性が整っていくと申しましょうか、これさえやっとけばなんとかなるような気さえします。
「覚醒したの?」と聞かれれば、私はこう答えます。はい。“内在していたものが、仕事によって成熟に向かっている”のだと。そして、その成熟は特別な人だけのものではなく、私たちの日々の選択の中にも、確かに芽生えうるのではないかとも思えます。誰にだって怒ることです。役割が人を育てると言う人もいますが、彼の場合はまさにそうなのでしょう。そしてその役割を与えた高市首相はマネジメントとして、腕利なのかもしれないと思わざるを得ません。
これからの小泉進次郎さんの変化から目が離せません。楽しみが増えましたね。