「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、昨日は朝から雪でとても寒い1日でしたが、今日から暖かくなるようです。
温度差が花を咲かせますから、桜もあっという間に咲き始めるかもしれませんね。ちょっと楽しみです。
春分の日はお彼岸ですから、お墓参りに出かけられる方もいらっしゃるでしょう。
私も家族で出かけますが、わざわざお墓に足を向けるのも意味のないことではありません。
ご先祖のことを考えるのは、普段日常に埋没している私たちの気持ちをリセットするにはいいことかもしれません。自分自身のルーツですからね。私はなんで生まれたんだろう、何をするのだろうなんて普段考えないことも、考えてみるのも良いでしょう。
自分の心のためにお墓参りをするのも一つの考え方ですが、仏教的にはお墓でご先祖のことを思って手を合わせる行為は、あの世でまだまだ修行している亡くなった方たちを応援するためだとも言われています。
死んでもなお悟るために修行なのかい!という感じではありますが、応援するのも悪いことではありません。
手を合わせる時、そんなことも思い出してみてみてください。
先月 夫とブラブラと梅まつりに行ってきました
八王子から小田原って
結構近いんですね
日常にちょっとした非日常が入り込むのって不思議な感覚と共に ワクワクもあって
楽しいです
子供が巣立って
夫が退職して
これが自由ってやつでしょうか反省を生かす生き方について
みなさんこんにちは。今日は、私自身が考えさせられた出来事をもとに、反省の大切さや、それをどのように生かしていくべきかについてお話ししたいと思います。
最近、ある事件をめぐる話題が多く取り上げられています。その中で、特定の人物が情報を発信し、それが事実ではなかったことが後になって明らかになるという事例がありました。その方は、その誤りを認め、謝罪をしました。謝るという行動自体はとても勇気がいることで、誠実さの現れともいえます。しかし、その方は過去にも同じような誤った情報を発信した経験があり、その際も謝罪をしています。それでも、再び同じ過ちを繰り返してしまったことに、私は深い疑問と共に大きな学びを感じました。
過ちを繰り返さないために必要なこと
私たちは誰しも失敗をします。それ自体は悪いことではありません。むしろ、失敗から学び、成長することこそが大切なのです。ですが、その反省が生かされず、同じ過ちを繰り返してしまうとしたら、それは本当の意味での成長にはつながりません。反省を生かすためには、次のようなステップが必要だと感じます。
深く考え、学ぶ
ただ「ごめんなさい」と謝るだけではなく、なぜその過ちを犯してしまったのか、どのようにすれば次に繰り返さないかを深く考えることが重要です。
自分を見つめ直す
人は感情的に反応してしまいがちです。しかし、情報を収集し、慎重に判断する冷静さを持つことが求められます。特に、多くの人に影響を与える立場の人には、この冷静さが不可欠です。
行動に移す
反省したことを実際の行動に反映させることが大切です。反省は言葉だけではなく、その後の行動で示すものだからです。
インフルエンサーの影響力と責任
今回の事例では、情報発信者の影響力の大きさについて改めて考えさせられました。彼の自信に満ちた発言が、真実であるかのように受け取られ、多くの人々を動かしました。その結果、誤った情報が広まり、影響を受けた方々が精神的に追い詰められてしまった可能性もあります。
インフルエンサーやリーダーといった立場の人は、その影響力が強いからこそ、情報の精査や慎重な発信が求められます。スピード感が重要視される現代だからこそ、正確性を優先する姿勢が大切なのではないでしょうか。
私たちができること
一方で、私たち自身も情報を受け取る側として、冷静な判断を心がける必要があります。感情的に反応するのではなく、一度立ち止まり、その情報が本当に正しいのかを考える癖をつけることが大切です。また、日常の中で起きる小さな失敗についても、自分なりに振り返り、その経験を生かしていくことが、私たちの成長につながります。
反省を未来につなげるために
失敗を反省し、それを繰り返さないための行動をとることは簡単ではありません。それでも、私たちは反省を心の中にピン止めし、そこから学ぶことで、より良い未来を築くことができるのです。私自身も、過去の失敗を改めて見つめ直し、それを忘れないように心がけています。
最終的には、私たち一人ひとりの選択と行動が、この世界をより良い場所にしていくのではないでしょうか。小さな反省の積み重ねが、優しさと調和に満ちた社会を作る第一歩だと信じています。
新しい年を迎え、令和7年がスタートしました。
この「7」という数字には「刀」の象徴、つまり「切る」という意味があると言われています。
それは物事を切り替える年であり、新たな始まりを迎える象徴的な年とも言えるでしょう。
昨年の令和6年は、過去の慣習や問題点が明るみに出る年でした。それらを踏まえ、今年は「終わらせるべきものを終わらせ、新しいものを始める」という行動が求められる年になりそうです。
昨今、政治や経済の分野でも見えていなかった問題が明らかになり、多くの人がその事実に気づき始めています。これまで「誰かがやってくれるだろう」と傍観していた多くの人々が、自分自身の意志を持ち、行動する重要性を実感し始めています。今年はその「気づき」をさらに一歩進め、具体的な行動へとつなげる年となるでしょう。個人が自分たちの意思を持ち、変化に向けて行動することで、社会全体が切り替わり、新しい時代を創っていけるかもしれません。
また、令和7年は干支で「巳年」、つまり蛇の年でもあります。
昨年の「辰年」は理想や夢を抱く年でしたが、それを現実の世界で形にするのが今年のテーマです。夢を現実化するには、「具体的にどう行動するか」を考えることが必要です。大切なのは、自分が何を成し遂げたいのかだけでなく、それを成し遂げた先にどのような自分でありたいのか、という「ビジョン」を持つことです。
多くの人が目標や目的を掲げることがありますが、それはあくまで途中のステップに過ぎません。本当に重要なのは、「目的を果たした先に何を得るのか」、つまり人生の中で自分がどうありたいかを考えることです。目標を持つことは第一歩として大切ですが、それにとらわれるのではなく、さらにその先のビジョンを明確にすることで、人生の可能性を無限に広げていけます。
今年は、「目標を叶えるための行動」に集中しがちな一年になりやすいかもしれません。しかし、その目標の先にある自分のビジョンや、どんな生き方をしたいのかを意識することで、より豊かで充実した人生を築くことができます。夢を形にするために必要なのは、自分自身が毎日の生活や行動を通じて、それを作り上げていく力です。そして、その力は一人ひとりの思いがエネルギーとして世界に反映されることで、現実を変える可能性を秘めています。
新しい年が始まった今、ぜひ「今年はこう過ごそう」という目標を掲げつつ、その先にある自分の未来像を描いてみてください。そのビジョンが明確であれば、日々の生活を楽しみながら自然と目標が達成され、さらに大きな夢が実現する流れを引き寄せられるでしょう。
2025年、令和7年は切り替わりの年です。「終わり」は新しい始まりのサインです。今年1年をどう過ごすか、自分自身に問いかけながら新たな一歩を踏み出しましょう。先日お知り合いの方から聞いたお話で、ある方が長くお付き合いのある自称霊能者さんに
「あなたは間違った親のもとに生まれたんだ」
と言われたという。
そのかたは親御さんとの関係で悩まれていて、それを相談した時にことなんだろうけれど、私はそれを聞いてとても腹が立った。
ひとつには私は人生に間違いなどないと思っているから。
どんな毒親だろうとどんな不遇な環境だろうと、それが人の生きる様だし、そこから何か掴んで立ち上がってこその人生ではないですか。だいたい誰が間違えたんだよ。自分が間違えたとして、それを修正できない今、間違ってたんだ^そうですかってどう納得するっていうんですか。
自己責任だっていうんですか。
何ですかそのどうしょうもない考え方。
もう無性に腹が立ちます。
そんなこと言う自称霊能者が、そもそもお前何様だって話。
そんなこと言い放つなら、ちゃんと最後まで責任持って自己責任を本人が納得してやり遂げるまでお付き合いしたらいいのに。それもしないで、相談者に丸投げは人間性を疑ってしまいます。
根拠がないから霊能力なのかもしれませんけれど、自分ではどうにもならないことを本人のせい呼ばわりそするのはいかがなものかと思いますよ。
昨日、関東地方では久しぶりの本格的な雨が降りました。この1か月ほど雨が全く降らなかったので、空気も乾燥しており、ようやく潤いを感じることができて心がほっとしました。私の名前が「梅雨子」ということもあり、昔から雨が嫌いになれません。雨が降ると、不思議と心が暖かくなります。
神社参拝と雨のつながり
昨日石破総理が伊勢神宮を参拝された際に雨が降ったという話題を目にしました。一部では「雨が降るのはよくない兆候では?」という意見もありましたが、私はむしろ逆の見方をしています。神社参拝時に雨や雪が降るのは、私たちの心身を清めるための神様からの贈り物なのです。
私は参拝する瞬間に雨が止むことや、人が一時的に引いて神様と1対1で向き合える瞬間が訪れるなど、不思議な出来事を何度も体験してきました。これらは、私たちの行動が「正しい道にある」というサインのように思えます。
雨を思い変える
雨の日は足元が悪く、濡れるのが嫌でつい気分が下がりがちです。しかし、私は雨を「清め」と捉えることで前向きに考えるようにしています。雨の日に出かけるときは、「これも神様が私を清めてくださるありがたい恵みだ」と思うと、不思議と気持ちが晴れやかになるのです。
このような思考法は、日常生活にも応用できます。例えば、誰かに注意を受けたり批判されたとき、一瞬は不愉快に感じることがあるかもしれません。でも、その出来事を「自分の成長のきっかけを与えてもらった」と思い返すと、気持ちが軽くなります。これは単なるポジティブシンキングではなく、感情を受け止めたうえで、自分にとってプラスになる視点に上書きするという考え方です。
雨が清めとしての役割を果たすことは、歴史的にも示されています。例えば、天皇即位の礼の際に降った雨が儀式の後に止み、虹がかかったという話は有名です。また、昭和天皇の崩御の際にも雨が降りました。これらの雨は、日本という国がいかに神々の加護を受けているかを象徴しているように思えます。
神様の導きや自然の現象を通じて、私たちは「自分軸」を確認することができます。雨が降る、雪が降るといった出来事も、自分が進んでいる方向性が正しいかどうかを見直す良いきっかけになるのです。
日々の生活で起こる小さな不快感やネガティブな出来事も、「お清め」や「気づきの機会」として捉えると、見える景色が変わります。雨が降る日は、ただ濡れるだけの日ではなく、自分の心を整え、再スタートするチャンスと考えてみてください。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。ぜひ雨の日にはその恵みを感じながら、清々しい気持ちでお過ごしください。
明けましておめでとうございます。
今年の初夢はなんでしたか?
私は火事の夢でした。初夢の解釈と初詣のおみくじのメッセージがリンクしていて、腹落ちしたお話など。
カウンセラーや占い師に
「そのままでいいんですよ」
と言われたことはありませんか?
これ私もいうことはありますが、結構難しいので簡単には使えません。
そのままでいるにも継続するための何某かの力は必要です。
そのままでいることは、何もしないこととは違うのです。今週末、衆議院選挙があります。
梅雨子先生、まだまだ選挙の話をしますよ〜
みなさん大好きな俳優さんとか声優さんとかタレントさんとか、推している方はいますか?
推しがいると生活に潤いがあったりしますよね。
私は選挙はエンタメだと思っています。
そして投票は自分の推しを応援する行為なのではないかと思うのです。
政治なんて考えたって意味がない。選挙行ったって何も変わらないという方が多いからこそ、この国は変わらないし、一部の人たちにいいようにされているのではないでしょうか。
そこ、諦めたらそれこそ終わりです。
それなら、選挙をエンタメだってくらいに考えて、大人がガチで人をディスっていたり、嘘ついたり、逆に正直に謝ったり、真剣に政策を訴えたりしている人を面白がりながら見て、じゃぁ誰を応援しようかな?って推し活気分で選挙をとらえてみるのもありなんじゃないかと思うんです。
続きは動画か、ラジオでどうぞ。。
スピリチュアルが大好きな人が気をつかなければならないことは、まずは「これは嘘ではないか?」と疑うことです。
私もよく
「当たる占い師を教えてください」
とか
「この人は本物の霊能者ですか?」
など聞かれることがありますが、スピリチュアリストや霊能者と言われる人が本物かどうかはある意味意味がないのかもしれません。
なぜならば、あなた自身がその人が言うことを信じるか信じないかが問題であって、それが本当のことを言っているのかどうかが問題なわけではないことが多いからです。
真実は時にとてもシビアで、実際の未来や本質が見える人がいたとして、それを知ってどうするかを考えることができ、かつそれに応じた行動を取る人がいるかといえば、私はそう言う人をあまりみたことがありません。
いいことは受け入れられやすいですが、そうではないことは結局は否定される人がほとんどで、おそらくは拒否反応が強く起こることがほとんどです。
結局占いやスピリチュアル的アドバイスはよいことやどうでもいいことは受け入れられるが、そうでないことは無意識に入ってしまうことが多く、それが本当のことを言っていたとしても、聞いた人の選別が起こることで真実かどうかはどうでもいいのかもしれないと思ってしまいます。
それならば最初から疑ってかかることもあってよいのではないでしょうか。
一つの情報として彼らの発言を聞き、それを採用するかは自分で決める主体性が大切ではないかと思います。