私の通っている大学病院を受診してきましたら、の会計システムが新しくなったことで、お会計の受付が大混乱、カオスな状況になっておりました。
お年を召された方々は、今までとは違うことが受け入れ難いようで「めんどうね〜」とおっしゃるかたが大発生。習慣の奴隷であることがじんわりと伝わってきました。それは年定的に仕方がないことかも知れませんが、あちらこちら目につくところには、新しい流れの説明が書いてありますし、事務の方が聞かれれば丁寧に話してくれています。
それでも理解力には個人差があって、まだなんとかしようとしている人はいいのですが、そうではなくて「なんともならないから、なんとかしてくれ」と受け身で自分でなんとかしようとしない人がいたりするのが、如何ともし難い。
理解できる、できないには能力の差があるとは思うのですが、最初から理解しようとする努力すら投げ出してしまうのはなんだか情けない気がして悲しくなります。
以前はこういうこともアナログであれば、曖昧だったりグレーだったりも飲み込んで流してくれていたのかも知れません。しかし今や0か1のデジタルだからこそ、「できる、できない」「やれる、やれない」がはっきり見えてしまう。どちらかに帰属することが明確になってしまって、誤魔化せない、でもできないとかやれないとは思われたくないなんて気持ちが、人をイラつかせているような気がします。
これも「二極化」の一端なのかも知れません。
もう社会の中では区別されてきてしまっています。それを「まぁいいか」と自分の心で曖昧にしていかなければ、私たちは苦しくなってしまうかも知れません。
もう「自分がどう見られるか」ではなくて「自分はどう在るか」に軸を置かなければならない世界が到来したのかも知れません。