なぜ私たちは「何者かになりたい」と焦るのか?
8月も最終日を迎え、暦の上では秋へと向かう時期となりました。私が暮らす八王子は盆地特有の地形ということもあり、夏の暑さは一層厳しいものがあります。
季節の変わり目や台風などの気圧変化が重なると、どうしても身体の調子が優れず、呼吸のしづらさやだるさを覚える方も多いのではないでしょうか。身体の不調は、想像以上に私たちの心に暗い影を落とします。心と身体は不可分であり、どちらかが揺らぐと、もう一方も引きずられてしまうものです。
この時期、ご相談に来られる生徒さんや周りの方々のお話を伺っていても、「なんだかすっきりとしない」「霧の中を歩いているような不快感がある」とおっしゃる方が目立ちます。普段は見ない振りをしていたご自身の問題点や、心の奥底にあった「モヤモヤ」が現実として表面化しやすいタイミングなのかもしれません
なぜ私たちは「何者かになりたい」と苦しむのか
現代社会は非常に自由であり、自分の生き方を自分で選べる時代です。しかし、その「自由」こそが、時に私たちを強く締め付ける原因となります。
人の脳は、常に選択を迫られる状態に強いストレス(認知負荷)を感じるようにできています。そのため、脳は少しでも負担を減らそうと日常の行動を「習慣」に落とし込もうとします。
- 朝起きて飲むもの
- 毎日の通勤ルート
- いつもの思考のパターン
このようにして作られた「習慣の奴隷」になることで、脳は平穏を保とうとします。しかしその一方で、自由だからこそ「自分は何かになれるはずだ」「何者かになりたい」という強い焦燥感を抱き続けることになります。
変化することに伴う苦痛を避けたくて同じ習慣を繰り返しながらも、心では現状からの脱却を望んでいる——このジレンマこそが、現代人が抱える生きづらさの大きな要因ではないでしょうか。
曖昧な慰めではなく「具体的で責任ある一歩」を
生き方に迷ったとき、多くの方は友人やカウンセラー、あるいは占いやAIなどに相談をし、答えを探そうとします。
しかし、そうした場で明確で具体的なアドバイスを得られる機会は、思いのほか少ないものです。具体的な答えを提示するということは、相手の人生に介入し、その結果に責任を持つ覚悟が必要だからです。そのため多くの場合、「答えはあなたの中にあります」という抽象的な言葉にとどまってしまいがちです。
私自身がご相談をお受けする「相談業」として大切にしているのは、「では今、具体的に何をすべきなのか」を明確にお伝えすることです。
誰にでも、その人が生まれ持った得意なことや、無意識にできてしまう素晴らしい才能があります。ご自身では当たり前すぎて気づけない強みを拾い上げ、今抱えている問題を解消するための現実的な手順へと落とし込んでいく。耳の痛い指摘になることもありますが、その「足の裏のトゲ」を抜くことこそが、人生の視点を大きく変えるきっかけになります。
無意識に惑わされず、目の前の「現実」と向き合う
「自分の無意識(潜勢意識)を変えなければ、根本的に変われないのではないか」と悩まれる方も少なくありません。
確かに、私たちの行動や思考の8割近くは、過去の体験や記憶から作られた無意識の影響を受けています。しかし、目に見えない無意識そのものを操作しようと躍起になる必要はありません。
もし無意識の中に解消すべき問題があるのなら、それは必ず「現在の人間関係」や「日々の暮らしの中の不具合」として、現実の表面に浮かび上がってきます。
- 子どもとのコミュニケーションがうまくいかない
- 職場に自分の居場所がないように感じる
- 家族との関係に不快感を覚えている
そうした今目の前で起きている現実の問題に一つひとつ対処し、小さな選択を変えていくこと。自分自身が行動を変えれば、それに伴って無意識の領域も自然と変化していきます。
無理に目に見えないものを暴こうとするのではなく、「それも含めて今の自分なのだ」と大きな視野で丸ごと受け入れること。そして、今の自分が少しでも楽に過ごせる選択(正解)を積み重ねていくことこそが、健やかに生きていくための訓練となります。
現実の肉体を慈しみ、歩みを進める
いくら思考や精神の世界に意識を向けようとも、私たちはこの肉体を持って、この現実世界を生きています。
身体が思うように動かないもどかしさを感じる日があっても、逃げられない現実を受け止め、杖を頼るように道具や知恵を活用しながら歩んでいけばよいのです。完璧を目指す必要はありません。
世の中の複雑な問題をむやみに細分化して自分を追い詰めるのではなく、時には大きく捉え、「今はこれでいい」と流すしなやかさを持つこと。
これからまた新しい季節が訪れ、取り巻く環境や選択肢も変化していきます。ご自身の「今の安心」を守るための選択を積み重ねながら、どうか今日という日をご自愛をもってお過ごしください。