私たちのまわりには、AIを友達のように使う人がどんどん増えているように感じます。
相談をすると、まるで心を読んでいるかのように共感し、励ましてくれる──
そんな“優しさ”をAIに見出している人も少なくないでしょう。
でも、そこで立ち止まって考えてみませんか?その「心」は、本当に存在するものなのでしょうか。
AIに心はない。
これは誰もが知っている事実です
。AIが発する共感や励ましの言葉は、膨大なデータの集積から導かれた「表現のひとつ」にすぎません。にもかかわらず、私たちはその言葉を目にした瞬間、「ああ、わかってくれている」と感じ、「元気づけられた」と思ってしまう。人形や車、ぬいぐるみに名前をつけて話しかけるのと同じように、AIという「無機物」に魂があるかのように扱ってしまうのは、人間の想像力が「ないもの」を勝手に補完しようとするからではないでしょうか。
しかし、この想像力こそが、私たちの人間関係においてもっとも大切な「思いやり」の源なのだと思います。
相手の気持ちを想像し、配慮を生み出す能力は、まさに想像力なしには成り立ちません。
だからこそ、AIが放つ「やさしい言葉」に触れてホッとする瞬間もあるけれど、それはあくまで“対症療法”であって、心の奥底にある問題を解決するものではないのです。
私が思うに、「心がある」とは、身体を持ち、そのフィジカルを通して体験や経験を重ねること。痛みを知り、笑い、迷い、立ち上がる──そうした積み重ねが、いわゆる“魂”を育むのではないでしょうか。私たちはまさに身体と魂のハイブリッドであり、その実感こそが「生きている実感」につながります。けれど、AIに励まされ、わずかな安心を手に入れたとしても、自分自身の深い感情や無意識のクセを変えるには至りません。
では、AIとはどう付き合えばいいのか?
私たちには、AIをツールとして賢く使いながら、同時に一定の距離感と客観的な視点を保つ必要があります。
AIに慰められてホッとしたその後、
「これで私は本当に癒やされているのか?」
「心の芯(真)の部分に、ちゃんと届いているのだろうか?」
と自問してみてください。
AIのやさしさを享受しつつ、私たちが本当に大切にすべきは、自分の身体を通して感じる「痛み」や「喜び」という、ほかでもない自分自身の声です。AIと適度な距離を取りながら、自分の心に耳を澄ませる習慣こそが、真の変化を生み出す第一歩になるでしょう。