毎朝聴くラジオで流れる「ため息つくと幸せ逃げちゃうよ」というCM、気になって仕方がないんです。
ため息って心と身体にとって、ある意味リセットするために起こることで、誰なんでしょうね幸せが逃げるなんて呪いをかけたのは。
私たちの感情には怒りや悲しみなどネガティブなものもあるわけで、それは湧いてくるものですから消えようがないですし、消し去ることもしてはならないと思うのです。
以前から「ポジティブシンキング」をしましょうと、いい言葉を使ったり前向きなことを考える方がいいなんていう考え方が、そもそも単純すぎて私は好きではありません。
陰と陽、どちらの感情も私たちはみんな持ち合わせているのですから、どちらかが悪くてどちらかがいいなんていうのは「ありのまま」ではありませんよね。正直な自分であることが、自分軸でブレずに生きていくことになるので、ポジもネガも両方感じて感じてその後どうするかを考えればいいのです。だってこの世界に影響を及ぼすのは、基本考えてのちの行動だけが反映されるのですから。
いっぱいため息ついたらいいんです。幸せが逃げたりなんかしませんよ。逆にそんな呪いにかかっていると正直な自分の感情に蓋をしたり、思ってもいないことをしてしまうことになりかねません。この世界は何も増えもしないし減りもしません。ただ循環しているだけです。全てが最終的にはプラマイゼロの状態になるだけです。
ポジティブ信仰に騙されちゃいけませんよ。
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ただいま某タレント事務所が新しい会社の社名を「公募する」と発表したのを聞いて、思い出したことがあります。
それは、以前お世話になった講師の先生に言われた事。
その先生はある講義について、私たち受講生にいくらで受けるか自分たちで決めなさいと言ったんです。
それを聞いてなんだかモヤァ〜っとしたんですよね。その違和感の原因を考えた結果私が行き着いたのは、「自分のサービス(講義)の値段(価値)を人にきけさせようとした傲慢さ」でした。
なにかしら商品もしくはサービスを提供するとき、どんなものにも自分の中での価値観があって、そのものに対して責任感があるのであればちゃんと自分なりの値段をつけて人に差し出すべきではないかと思うのです。
自分の価値を評価してもらうことは必要であることもわかりますが、中途半端にお客様に丸投げはいかがなものかと思ったんですよね。
結局その講義は無くなってしまったので、値段をつけることも支払うこともなかったのですが、そもそも始まりの無責任さがその講義を現実にできなかったのではないかと考えてしまいます。
自分の価値、自分が生み出すものの価値に対して、私たち自身が無自覚でいることはとても危険なことのように思えます。自分とは何か?まるでそこにあることに自覚がないことで正体をなくしているようです。私が私であることは、どんな小さな意思にも宿るように思います。
自分の価値に自覚を持つことにも責任感を持ちたいものです。音声配信ブログ 更新しています
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みなさんごきげんいかがですか。
ゆるく時間を過ごす時、私は流し見できるドラマを見ることが多いのですが、最近見つけたドラマがこちら
「名建築で昼食を」
カフェ開業を夢見る主人公のOL春野藤が、「乙女建築」巡りを趣味とする中年の建築模型士、植草千明とSNSで出会うことから始まります。
名建築巡りをしていく中で、藤は千明の独特の価値観に興味がわきはじめます。仕事に恋に悩み多き藤は、人生経験豊かな千明から発せられる一風変わった視点の何気ない言葉に心動かされ、勇気づけられ、前に進んで行きます。このドラマは一人の女性が挫折と葛藤を繰り返しながら成長していく物語です。
アマゾンプライムで見られますよ
この建築模型士のおじさんが言った言葉が「不幸には気付きやすいが、幸せには気付きにくい」でした。
そうそうって頷いちゃいましたよね。
私たちは傷つきたくないし不安になりたくないからついつい不幸なことを見つけてしまいがちです。自分を守るためdすから、しょうがないことなんだとは思うのですが、そればかり優先していると不幸を見つけるのだけがどんどん得意になっていって、ちゃんと不幸な自分ができあがっていってはいませんか?
それってもったいないですよね。
実際良いことも悪いことも、ほぼ同量な気がしています。
そうだとしたら、良いこと、幸せなことに視点を移せば幸せな日々が送れるということではないでしょうか。
幸せを見つけることが得意になれば良いのです。
だって私たちは全てを持たされているのです。ただそれに気づけていないだけなのかも知れません。
「幸せの青い鳥」は、すでにカゴに入っていたし
花の子ルンルンが探していた「幸せの虹の花」は、彼女に家の裏庭に咲いていました。
私たちだって、ただ気づいていないだけだし、見えていないだけなんですよ。
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