小ネタの宝庫、主人がまたまたやってくれました。
一年ほど前からあるビールを注ぐホームサーバー。
主人は毎日夕食にいっぱいビールをそれで飲んでいるのです。ビールを入れ替えるたびにチューブを取り替えたりメンテナンスが必要で、面倒ながらも彼がそれを含めて管理をしているのですが、ついぞ先日そのメンテナンスの道具が入っている引き出しが開けづらくなったようで、力ずくで引っ張ったものだから壊れてしまいました。誰が悪いって力ずくでやったのは夫本人な訳ですが、なぜかわたしに八つ当たり。
いつものことですが(子どもか!)むかつきつつも、「引き出し壊れちゃったから、この上の引き出しにメンテの道具をしまったら?」と場所を入れ替えたのです。
それが前の日。
そして今日、またいつもの引き出しをガタガタやって道具が見つからないと文句を言うのです。
いや、それ昨日違うところに変えたよね、というと急におとなしくなって思い出したよう。いつものようにビールを注いで飲んでいる。
人に八つ当たりしといてあやまんないのかよ!ってそれも問題だけれども、いつもの習慣になぞらえていつもの行動して、そこに疑問持たないの??
ヒトの脳はいつでも何かを選択しているので、ずっとストレスを受けています、これ祖認知負荷というのですが、これを回避するため「習慣」という日々のルーチンワークを無意識に行動する機能があります。変化がなければ問題はないのですが、いつもの場所を入れ替えたりすると習慣に流されるままいつもの行動をしてしまって間違えてしまうことが起きます。
習慣はストレスを軽減するのに大切な機能ですが、それは私たちの意識の停滞や飽きにつながります。ヒトのやる気は新しいことへの変化や、期待があってこそ活気付くものです。
どうですか?
習慣の奴隷になっていませんか?
余裕のあるときに少し変化を求めて、生活のルーチンを変えてみてはどうでしょう。
奴隷は楽ですが、主体性のある選択をすると新しいことに気づくかもしれません。
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愚痴や雑談は聞き流すものです。
雑談はコミュニケーションの潤滑油であることがほとんどですし、愚痴に関しては吐き出すことが目的なことが多いものです。
それを「人が話すのは問題を解決したいから話しているのだ」と思っている人がいます。
これは聞いて私も驚いたのですが、もしかしたらそう思っている人結構いるのではないでしょうか。
雑談や愚痴を「相談」だと思って聞いてしまうと、聞き流すことはできませんし、つい相手にアドバイスやいらぬ一言を言ってしまいます。話を相談だと思いやすい人は、「自分がなんとかしなくては」「相談してくれたんだから解決したいんだろう」と思い込んでしまっていませんか?
話をすると言うことは誰もが何かを解決したくて話をしているのではありません。
もし相談だと感じたら、相手に「これは相談?それとも聞いてほしいだけ?」と聞いて確認してもいいと思います。
思い込みや、空気を読むだけでは勘違いすることも多いものです。聞いてしまうのが一番確実で、問題も起きないでしょう。
話を相談だと思ってしまうのは、自分も苦しくなることがありますし相手の課題を奪う行為になることもあるでしょう。誰もが起きたことを解決したいわけでもないでしょうし、中にはすでにもう自分の中で答えは出ていて聞いてほしいだけなのかもしれません。
思い込みは思考の癖です。
気づいたらそれをまずは止める。
人の課題を奪うのは一番やってはいけないことですから、勝手にアドバイスはしないようにしましょう。
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8月31日で在処が7年目に突入しました。
「自分を知りたい」
「自分軸を持ちたい」
というマニアックでコアなみなさんのおかげで、かなり長くやってこれました。
ありがとうございます。
自分を知りたいと願う人の中には、「特別な自分」であることを肯定したくて自分探しをしている人もいるのですが、私は
みんな唯一無二の存在ですから
「みんな特別」
みんな特別ということは「特別」な存在自体が当たり前で「平凡」であることと同義である
とお話ししています。
特別だと思いたいのは思い上がりだよ、ということですね。
自分らしく当たり前のことを当たり前にできるようになることが、私たちのやるべきことで、そこにその人の得意なことが反映されれば「あなたらしさ」が生まれるのです。
特別なことができることではありません。
平凡こそ特別なことなんです。
当たり前だと思っていることを当たり前に続けることは、もっとも難しいこと。
それこそが特別なことなのかもしれませんね。
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