「自分らしく生きる」とか「本当の自分を取り戻す」という言葉を、
いろんな場面で目にします。
SNSでも、本でも、セミナーでも
「自分らしさ」がキーワードになっていて、
まるでそれを見つけることが“人生の正解”のように語られる。
それ自体は自分を知ってラクに生きるためには必要なことですから、大事なことです。
しかし、まるで、「自分らしさ」を探すことがゴールで、
それを見つけさえすれば人生はうまくいく、と語られることに私は違和感を感じてしまいます。
実際には、そんなふうに「自分らしさ」を取り戻した(ように感じた)あと、
ぽっかりと空白のような感覚にとまどう人が増えているように感じます。
「あれ? 自分らしくなったはずなのに、なんか物足りない」
「本当の自分を見つけたはずなのに、前より寂しい気がする」
もしかしたら、「自分らしさを探すこと」が“目的そのもの”になってしまっているのではないか?
目的を果たして、安心したもののその自分らしさをどう扱って良いか戸惑っているようにも感じます。
本当は、「自分らしくあること」って、何かを“するための土台”であって、
それ自体がゴールじゃないはずです。
でも、「私はこれでいいんだ」っていう安心感を得た瞬間、
その次に何をしていいかわからなくなる。
それは、自分らしさを見つけたのではなく、
「自分らしく見せる」ための役割に新しくハマってしまっただけなのかもしれません。
自分らしさは、守るものでも、飾るものでもなく、
日々、何を選び、どう在るかの“手ざわり”のようなもの。
自分軸の判断基準であり
毎日を心地よく過ごすためにあるものではないでしょうか。
今日の選択に納得しているか。
ちいさな違和感をごまかしていないか。
人と比べず、自分と対話しているか。
そういう積み重ねが、自分らしさを形成し私になっていく。
「自分を取り戻す」って、
どこかに置いてきた自分を探し出して、
取り戻して、
元通りの姿に戻ることじゃなくて、
これからを生きる自分を、新たに“育てていく”ことなのかもしれません。
“自分らしさ”が声高に語られるようになった今だからこそ、その言葉に踊らされてはなりません。
「自分らしさ」がわかったからといって
キラキラしたまわりから羨ましがられる生き方ができるわけでも
自己肯定感が爆上がりして毎日ハッピーになるわけでもありません。
その後自分らしくあり続けることが何よりも重要で
それはもっと静かで、もっと地味で、もっと、地に足のついた営みなのです。
「自分らしさ」を見定めたあなたは
「自分らしく生きる」スタートに立っただけのことです。
これから寿命が尽きるまであなたらしく生き続けられるのです。
こんな面白いことはないではありませんか。