ただいま絶賛報道中の「おねだり知事」の百条委員会のやりとりを見て、気づいたことをお話しします。
そもそも私はパワハラも、視察先でお土産を要求するのも公僕である知事のすることか?との疑問もありますが、それよりも「公益通報」がしっかりと機能しなかったことの方が問題ではないかと思っています。
知事の言動が度をこしていて、周りの役職の人たちが仕事の不透明感や、やりにくさを抱えていていたための内部告発だったわけです。その人が自死を決意するにいったことは如何ともしがたく、これをこのままにしては公正さを保つことの意味すら有耶無耶にされてしまいかねません。
百条委員会ではそこのところをもっと突っ込んではっきりさせていただきたいと思っています。
それとは別に、あの知事の受け答えからなんとメンタルが強い火地なんだろうかとの印象を受けました。彼がしたことややっていることは置いていいたとして、あのねっbタルのタフぶりは「メンタルタフネス」を超えた「メンタルモンスター」と言われても仕方がないかもしれません。
そもそも思いやりや気配りができる人こそ、周りのことを気遣うあまり考えすぎて他人軸になりがちで、だからこそ不安をかき集めてしまって心が病みがちであることは否めません。
そんなおり、彼のように事実と感情を切り分けることで自分の心を守ることもある意味防御としてはありなのかもしれません。周りに鈍感であること。つまり「鈍感力」を持つということです。
そして苦しみや不安を忘れる力「忘却力」これも毎日を過ごす中で、未来を今として生きなければならない私たちには、必要なものです。
不安や悲しみはうまくいかなかった記憶に紐づく感情で、それがあるから危険から自分を守ることができると言えます。しかし、そればかり気にしすぎていると前に進むことができなくなることもあり、停滞を招きます。進化していくことができなくなってしまうかもしれないのです、そんな時に忘れる時ことは必要な機能です。
「鈍感であること」も「忘れること」も、一見悪い事、弱みに見えますが、これらも必要だからある機能であり、使っていくことでタフに萎えたり、進化できたりするのかもしれません。これも思いかえです。
「メンタルモンスター」になってしまうと、自分勝手で守ることが攻撃に変化することしらあります。こうなってはいけないのですが「タフ」であることは自分に多くの耐性をつけ、より良い道を選択して集中力でそれを成し遂げることができるかもしれません。
自分軸のある「メンタルタフネス」を身につけてくださいね。