思考の智慧

ネガティブな感情を力に変える!「正しく呪う」という生き方

 

日常の中で、誰かに対して強い怒りを覚えたり、猛烈に嫉妬してモヤモヤしたりすることはありませんか?

 

「こんな負の感情を持っちゃダメだ」「もっとポジティブにならなきゃ」と無理に感情を抑え込んでしまう人は少なくありません。ですが、自分のネガティブな思いを無視して蓋をしてしまうことこそが、実は自分自身を苦しめる原因になっているかもしれません。

 

今回は、民俗学における「呪い」の本来の意味を紐解きながら、自分の感情と正しく向き合い、生きやすくなるための「思い換え」のヒントをお伝えします。

 

「呪い」と「まじない」は同じ語源?民俗学から見る本来の意味

「呪い(のろい)」と聞くと、誰かを不幸に陥れるような怖いものをイメージする方が多いかもしれません。しかし、民俗学的な視点で見ると、呪いは「まじない」とも読み、語源は同じだとされています。

 

本来の呪いとは、言葉の持つ力や人の心理、自己暗示のメカニズムそのものを指すのでは無いでしょうか。

 

私たちは日々、人間関係の中で生きていくうちに、どうしても怒りや不満、嫉妬といった感情を抱くことがあります。「なぜあの人はあんな言い方をするんだろう」とモヤモヤする経験は誰にでもあるはずです。

 

この時、ネガティブな感情を言われるがまま我慢して心に溜め込んでいる状態は、自分や相手を縛り付ける一種の「自己暗示(呪い)」にかかっている状態と言えるのでは無いかと私は考えます。

 

ネガティブな感情に蓋をしない。「正しく呪う」とは自分ごととして捉えること

「負の感情を持つのは悪いことだから、ポジティブに考えよう」と無理やり納得させようとしていませんか?

 

人間は感情の生き物ですから、良い感情もあれば悪い感情も湧いてきて当たり前です。ネガティブな思いを否定する必要はありません。大切なのは、無理に感情を消そうとせず、自分の中で起きている感情をそのまま客観的に「自分ごと」として捉えること(内観)です。

 

「自分責め」や「人のせい」は客観的ではない

自分を振り返る際に注意したいのが、「私なんてダメだ」と責める自責(自分責め)や、「あいつのせいでこうなった」と被害者意識に囚われる他責です。これらは一見自分に向き合っているようで、実は客観的な視点ではありません。感情に振り回され、視野が狭くなって苦しくなってしまいます。

 

直視して「素直に受け止める」ステップ

感情と正しく向き合うには、次のように素直に認識することがスタートです。

 

「私、今あの人に対してすごく怒っているんだな」

 

「あんな風に言われて、人格を否定されたみたいで傷ついたんだな」

 

「羨ましくて嫉妬しているんだな」

 

このように、ごまかさずに自分の本音をまっすぐ見つめること。これが、私の提案する「正しく呪う(自分の感情と真剣に向き合う)」ということです。

 

課題を分離し、やったことが自分に返ってくる法則を知る

人を嫌いになってはいけない、という綺麗事にとらわれる必要はありません。嫌いなら嫌いでいいのです。ただし、ここで重要になるのが「課題の分離」です。

 

相手の人格そのものではなく「発せられた言葉や行為自体が嫌だった」と切り分ける

 

相手がどう思うかは相手の課題であり、自分がどう感じるかは自分の主体(自分軸)で考える

 

不愉快だと感じたのであれば、その思いをごまかさず「自分の中で事実として受け止める」ことが大切です。

 

人は自分が発した言葉や行った行為が、巡り巡って自分に返ってくるようにできています。ネガティブな執着にずっと縛られ続けるのは自分自身を傷つけることになりますが、感情をしっかりと認識して腹を括り、自分軸を取り戻すことで、かかっていた呪い(縛り)は自然と解けていきます。

 

自分の中に湧き上がる怒りや悲しみといったネガティブな感情をダメなもの」として封じ込める必要はありません。

 

今持っている感情を排除せず、「今自分はこう感じているんだな」とありのまま受け止めること。それが凝り固まった思考をほぐし、日常を生きやすくするための「思い換え」の大きな第一歩になります。

 

自分のすべての感情に素直になって、しなやかで自分らしい日々を過ごしていきましょう。

 

自分一人で内観を深めようとすると、どうしても自分の過去の体験や知識の範囲内だけで処理しようとして行き詰まってしまうこともあります。そんな時は、信頼できる第三者に思いを言葉にしてアウトプット(吐き出し)をしてみるのもおすすめです。
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梅仕事と「ただ生まれて、ただ生きる」

 

みなさん、ご機嫌いかがですか?

 

「思い換えで日常を楽園に」をテーマに、ちょうどよく、しなやかに生きるためのヒントになればいいな、なんてことを思いながら、私が日々考えていることなどをお話ししております。

 

しばらくぶりの更新となってしまいました。台風が来たり、何やかんやと慌ただしく過ごしたり、あとは、お家の梅の木に梅が山ほどなりまして……。ここ最近は、その「梅仕事」を永遠と続けているような、そんな日々を過ごしておりました。

 

体調は相変わらずの“低空飛行”ではありますが、落ちずに何とか飛んでいるといったところでしょうか。

 

実は最近、ずっと使っていた2種類のインスリン(すぐ効くショートと、1日効くロング)に加えて、「マンジャロ」が追加されました。2.5ミリグラムから始めて今日で7.5ミリに増量したところです。少し前に世間で色々と話題になったお薬ですが、私はあくまで「2型糖尿病」の治療として大切に使わせていただいています。これに関しては、色々と思うことや言いたいこともあるのですが、それはまた、どうしてもお話ししたくなった時にでも、ゆっくり書かせていただきますね。

 

永遠に続くような、愛おしい梅仕事

 

今日は久しぶりに雨が降っていなかったので、お外に洗濯物を干すことができました。そんな晴れ間のなか、今年もたくさんの梅を漬けました。

 

梅酒(5リットル瓶にひとつ)

 

梅シロップ(氷砂糖のほか、今年は「きび砂糖」を使ったものも別で作ってみました)

 

ハチミツ梅(青梅で作った、甘じょっぱいお漬物)

 

実は主人が、梅干しを含めてお漬物があまり得意ではないのです。でも、箸休めにちょうどいい「ハチミツ漬け」のレシピを見つけて作ってみたところ、これが大成功。お塩で一度漬けてからハチミツに漬けるのですが、甘じょっぱくて本当に美味しいんです。主人は、私が作った手前「食べたくない」とは言えないようで(笑)、一生懸命食べてくれています。そんな彼の姿を見るのも、また微笑ましいものです。

 

また、完熟した梅を「ラッキョウ酢」で漬けるという方法も試してみました。

 

通常の梅干しだと、干したり重石をしたりと手間がかかりますし、万が一カビてしまったら本当に悲しい気持ちになりますよね。でも、ラッキョウ酢漬けなら、消毒さえしっかりすれば、ただ漬けるだけ。重石もいりません。

 

去年試してみてすごく美味しかったので、今年も作りました。しっかり乾燥させて寝かせる梅干しと違って、すぐにしっとりとした美味しさを味わえるのがお気に入りです。

 

もちろん、伝統的な梅干しも漬けています。今はまだ梅酢に浸かっている最中で、土用干し(夏の強い日差しで干す作業)の時期をじっと待っているところです。

 

今年は、主人が気を利かせて、自分は苦手なのに私のために「赤じそ」を買ってきてくれました。本当に優しい人だなと感謝しつつ、今年はYouTubeで見つけた「真空パックで漬ける方法」に挑戦しています。動画で実際の工程を見ると、視覚派の私はすごく分かりやすくて、頭に入りやすいんですよね。

 

今、我が家には瓶がずらりと並んでいます。「来年の梅の時期までに食べきれるでしょうか?」

 

夏の野菜で、身体を循環させる

 

ほぼ引きこもりのような生活を送っている私ですが、家の中でできる「作り置き」の料理が、日々のささやかな楽しみになっています。

 

最近は、今が旬のズッキーニを使って「ズッキーニのキッシュ」を作りました。

 

地産地消の農協へ行くと、新鮮なズッキーニがたくさん並んでいて嬉しくなります。キッシュと聞くと難しそうですが、お好みの野菜を炒めて、器に入れてオーブンで焼くだけの実はとても簡単な料理です。卵を使うので、お野菜とタンパク質が一緒に摂れるのも魅力的。生クリームを入れるとこってりリッチになりますが、私は少しあっさりめの牛乳で作っています(豆乳やお豆腐も試しましたが、洋風の味に寄せたい時は牛乳が一番しっくりきます)。

 

そして、夏といえば「ラタトゥイユ」ですね。

 

茄子、パプリカ、ピーマン、トマトといった夏野菜を、ひたすらニンニクとオリーブオイルで炒めて、野菜の水分のみでコトコト煮込みます。

 

私は腎臓の難病があるので、利尿剤を飲んでいる関係で、お水をたくさん(水中毒になりそうなくらい)飲みます。そのため身体がむくみがちなのですが、だからこそ、カリウムやナトリウムといったミネラルのバランスがとても大切になります。

 

夏野菜は、身体に水分を入れ、そして余分なものを出すという「循環」を助けてくれます。茹でたり炒めたりすると逃げてしまう栄養分も、煮込み料理ならスープごと全部いただけるのがいいですよね。

ラタトゥイユを作っていると、「あぁ、夏が来たんだな」としみじみ感じます。

 

ちなみに、ソーセージやベーコンを入れたくなるお料理ですが、個人的には「お野菜だけ」で作るのが一番美味しいと感じています。息子にせがまれてお肉を入れたこともありますが、やっぱりお野菜だけの方が、素材そのものの地味溢れる優しい味が身体にじんわり染み渡る気がするのです。

 

「ただ、淡々と生きる」ということ

 

日々の生活といえば、寝ているか、食べているか、料理をしているか。そんな静かな循環のなかにいます。

 

若い頃は、「私は何のために生まれたんだろう」「社会に何か爪痕を残さなきゃいけないんじゃないか」「どうやって社会貢献をして喜びを得ればいいのだろう」と、生きる意味について一生懸命考えて、探して、もがいていた時期もありました。

 

思いつくことは一通りやってみたつもりです。そして、その経験を経たからこそ、最近ようやくひとつの答えに辿り着きました。

 

それは、「生きる意味なんて、最初からいらなかったんだな」ということです。

 

もちろん、自分探しをしたり、天職を追い求めたりしている方を否定するつもりはまったくありません。むしろ、一生懸命考えることは素晴らしいことですし、私もその道を通ってきたからこそ、今があります。

 

ただ、今の私が至った境地は、「人はただ生まれて、ただ淡々と生き、ただ死んでいく」という、とてもシンプルなものでした。

 

それは「何もしない」という意味ではありません。目の前に起きた出来事に、自分なりに一生懸命向き合っていくということです。

 

お友達と喧嘩をしたら、仲直りするために謝ったり、時にはぐっと我慢したり。家族を支えるために働いたり、恋愛をして、結婚をして、子育てをして、親戚付き合いをして……。そうやって目の前の事象をひとつひとつ受け止めたり、時には逃げたり、怒ったり悲しんだり笑ったりしながら、感情を処理して生きていく。

 

生きるって、本当にそれだけのことなんだなと思うのです。

 

それを「つまらない」とは思いません。毎日、美味しいお料理を作ったり、主人とあぁだこうだ言いながら梅の瓶を覗き込んだり。一見、何でもないような小さなことに、ふわっとした温かい喜びを感じること。それ自体が「生きる」ということなのだと気づいてから、しゃかりきに「何かをやらなきゃ」と思わなくなりました。

 

昔なら「悟り世代の若者みたい」と言われたかもしれませんが、決して悟ったわけではなく、ただ「気づいてしまった」のです。今、自分にとってちょうどいい、楽な状態で毎日を生きられていること自体に、感謝しかありません。

 

こう思えるようになったのは、悩みに振り回されなくなったことが大きいと感じています。

 

悩みや不安が完全に消えたわけではありません。ただ、眠れないほどどうにもならない不安に襲われることがなくなったのです。

 

それは、「なぜ?」「どうして?」と原因を突き詰めるのをやめたから。

 

悲しみも、苦しみも、不安も、原因なんてなくて「ただ、そこにあるだけ」。それを自分がどういう風に見るか、それだけの違いなのだと気づけたから、とても心が楽になりました。

 

今は平和な日本で、安心して暮らせる環境があるからこそ言える言葉かもしれません。もし戦争が起きたら、また違う受け止め方になるのかもしれませんが、今は、目の前にある「ただ生きる」という日常を、死ぬまでただ続けていきたいなと思っています。

 

まだまだお若くて、「そんなこと言ったって……」と思われる方もたくさんいらっしゃると思います。それでいいのです。その時々に、向き合わなきゃいけない課題がそれぞれありますから。

 

どうぞ、ご自身のペースで進んでくださいね。いつかきっと、自分が楽になる答えが見つかるはずです。「答えなんか出なくていいや」と思えるようになることも、立派な答えのひとつですから。そして、その答えは人生のステージによって変わっていってもいいのです。

 

梅雨の季節、すっきりとしないお天気が続いて湿度が高くなると、どうしても心までイライラしやすくなりますよね。私たち人間も動物ですから、お天気に影響されるのは自然なことです。

 

もしイライラしてしまった時は、意識して「ふぅっ」と息を深く吐き出してみてください。それだけで、少し心が軽くなることがありますよ。

 

皆さまもくれぐれも体調にはお気をつけくださいね。

 

それでは、また次回のブログでお会いしましょう。

 

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6/30 梅仕事と「ただ生まれて、ただ生きる」 - 思考のダイアローグ | stand.fm 最近の私は、台風が過ぎ去ったあと、お家の木にたくさん実った「梅仕事」を永遠と続けるような日々を過ごしておりました。 体調は相変わらずの低空飛行ですが、落ちずに何とか飛んでいます。 今回のブ...
 


母の日に考えたこと。私たちがまとう「たくさんの仮面」と、一番大切にしたい役割

 

前回の「香りの記憶」のお話には、たくさんの温かな反響をいただきありがとうございました。母の日に向けて、母の意識が少しずつはっきりとしてきたという嬉しい報告が弟からも届き、心穏やかな5月を迎えております。

 

さて、5月といえば「母の日」がありましたが、みなさんはどのようにお過ごしでしたでしょうか。我が家でも、子どもたちや兄弟を交えて、小さな心の交流がありました。

 

今回は、そんな母の日をきっかけにふと考えた、私たちの持つ「役割(ペルソナ)」と、自分自身を紐解くヒントについてお話しさせてくださいね。

 

私たちがまとう、たくさんの「仮面」

 

日々生活していると、私たちは意識する・しないに関わらず、本当にたくさんの「役割」を持って生きています。心理学の言葉では、これを「ペルソナ(仮面)」と呼んだりしますね。

 

私自身のことで言えば、

 

 

  • 母から見れば「娘」
  • 弟や妹から見れば「長女(姉)」
  • 甥っ子から見れば「おばさん」
  • 子どもたちから見れば「母親」
  • 主人から見れば「妻」

 

 

これらに加えて、かつて仕事をしていた時は「看護師」という仮面がありましたし、地域に目を向ければ「八王子市民」であり「日本国民」でもあります。こうして数え上げてみると、びっくりするほど多くの顔を使い分けていることに気づかされます。

 

私たちは、その時々の環境や状況、お相手に合わせて、無意識にこの仮面をセレクトして対応しています。

 

母の日の贈りものと、少し苦手な誕生日

 

今年の母の日、我が家の子どもたちもそれぞれの形で私を気づかってくれました。

 

次男はゴールデンウィークの帰省から戻った後、「遅くなっちゃうけれど、お母さんにあげたいものがあるから送るね」と連絡をくれました。何が届くのか、今から密かに楽しみに待っているところです。

 

また、不規則で忙しい流通の仕事をしている長男は、連休の最後に1日だけ時間を作って帰ってきてくれました。我が家は主人がとても寡黙なものですから、普段の私は猫に向かって熱心に話しかけるような日々(笑)。そんな私の良き話し相手になって、映画のこと、本のこと、仕事や友人の話を丸一日、たくさん聴かせてくれたのです。男の子ですから大げさなお祝いの言葉はありませんが、私にとっては「会いに来て、時間を共にしてくれること」そのものが、何よりのプレゼントでした。

 

実は、私はこの5月が誕生日でもあります。

 

ただ、昔から誕生日というものが少し苦手でして……。お祝いをしていただくのが、どこか気恥ずかしく、いたたまれない気持ちになってしまうのです。「できればそっと通り過ぎてほしい」と思うほど。

 

主人には、忘れないようにと私の誕生日に結婚式を挙げてもらったので、毎年「今年は何が欲しい?」と聞いてくれます。昨年は家族みんなに還元できるからと「ヨーグルトメーカー」を買ってもらい、塩麹や発酵調味料作りに大活躍しているのですが、今年はまだ「これ」というものが思い浮かばず、贅沢な悩みを抱えています。

 

自分が一番大切にしている「役割」はどれ?

 

不思議なことに、誕生日を忘れられても全く気にならない私ですが、かつて「母の日」を子どもたちに完全にスルーされた時は、大激怒して部屋にこもって泣いたことがあります(笑)。

 

その経験をいま振り返ってみて、ある面白いことに気づきました。

 

一個人としての自分(誕生日)よりも、「母親としての自分(母の日)」を忘れられることの方が、私にとっては遥かにショックが大きかったのです。

 

つまり、私が持つたくさんのペルソナの中で、今最も重要度が高く、大切に愛おしんでいるのは「母親という役割」なのだと、改めて自覚することになりました。

 

人によって、この優先順位は全く異なります。

これらは決してどれが良い悪いではなく、「今の自分が、どの役割に一番エネルギーを注ぎたいか」という、大切な価値観の現れなのだと思います。この優先順位は、年齢や子どもの成長、環境の変化によっても変わっていくものです。

 

自分の役割を振り返る、ということ

 

もし今、日々の生活の中で「なんだかバランスが悪いな」「心がモヤモヤするな」と感じることがあれば、少し立ち止まってご自身の役割を考えてみてください。

 

「今、私はどの仮面を一番大切にしたいのだろう?」

 

「おざなりになってしまっている役割はなんだろうか?」

 

そうやって振り返ってみることで、自分が今本当にすべきことや、進むべき方向が、驚くほどクリアに見えてくることがあります。

それが今の自分の立ち位置を教えてくれるかもしれませんね。



母の日に考えたこと。私たちがまとう「たくさんの仮面」と、一番大切にしたい役割 - 思考のダイアローグ | stand.fm 私たちは日々のなかで、妻、母、娘、仕事の顔など、たくさんの「仮面(ペルソナ)」を使い分けて生きています。 実は私、誕生日を忘れられても平気なのに、かつて「母の日」をスルーされた時は大激怒した過去が……(笑)。その理...
 

 


「めんどくさい」を攻略する 私の日常を楽園にする引き算の魔法


今日は、最近の私の生活ルーチンの中で、ぐっと心が楽になった「家事との付き合い方」についてお話ししようと思います。

 

 

凸凹な私を支えてくれる、家族という存在


 

実を言うと、私は筋金入りの「めんどくさがり屋」です。

 

主婦という役割を担ってはいますが、掃除も洗濯も料理も、基本的には苦手。放っておくと部屋がとんでもないことになって、ある日突然「もう限界!」と爆発して片付け始めるような、ムラのあるタイプなんです。

 

でもこんなむらっけのあるわたしにも、ちょうどよい家族がいるわけです。

 

一緒に住んでいる義妹が、私の苦手な掃除をやってくれて、ねこちゃんのふわふわな毛もモップで綺麗にしてくれたり、主人は洗濯物を畳んでしまってくれます。

 

私は自分の「できない部分(凹)」を隠すことはありません。厚顔無恥と言われればそうなのですが、家族の「得意な部分(凸)」に甘えさせてもらっています。「みんな、ありがとう」という感謝の気持ちで、なんとか日々が回っているのです。


 

 

「夜の私」を助けるために、「朝の私」が動く


 

 

そんな中で、どうしても外せないのが「食事作り」。

 

食欲にムラがあるからこそ、自分の食べたいものは自分で作りたい。でも、病気の影響もあって、夜になると体力がなくなって「億劫の波」に飲み込まれてしまいます。

 

そこで始めたのが、「ついでの副菜作り」です。

 

朝ごはんを食べ終わって、食器を片付けるタイミング。まだ体力が残っていて、台所に立っている「ついで」に、数日分の副菜を作ってしまいます。

 

不思議なもので、包丁を研いで野菜を刻む時間は、私にとってワクワクする時間でもあります。かつて看護師として注射針を扱っていた血が騒ぐのか、スッと切れる包丁で千切りにする作業は、ちょっとした快感なんです。

 

今朝は

 


  • 春キャベツのコールスロー(山盛り作ってタッパーへ)
  • かぶときゅうりの甘酢漬け
  • 山芋のめんつゆ漬け(アイラップで揉むだけ!)

 

こうして「副菜貯金」をしておけば、夜はメインを焼くだけ。冷蔵庫を開ければ、お気に入りの副菜が待っている。この安心感が、夜の私をどれほど楽にしてくれることでしょう。

 


 

 

生活を「攻略ゲーム」のように楽しむ


 

 

最近は、自家製ヨーグルトを使ったソースにもハマっています。

 

ギリシャ料理の「ジャジキ」やインドの「ライタ」のように、ヨーグルトに塩、オリーブオイル、新玉ねぎやパセリを混ぜて。これをマカロニサラダに使うと、マヨネーズより軽やかで、いくらでも食べられてしまいます。

 

自分の「めんどくさい」という感情をどう回避し、いかに楽しみながらクリアするか。

 

それは、人生という時間を快適に過ごすための「攻略ゲーム」のようなものかもしれません。

 

病いも、不器用さも、すべて抱えて生きていく

病気による痛みや辛さは、確かにあります。

 


 

でも、それも私の生活の一部。文句を言っても始まらないし、それがあるからこそ見えてくる「平穏な日常」のありがたさがあります。

 

子供たちが独り立ちし、主人との二人三脚(プラス義妹!)の生活になった今、余計なこだわりを引き算して、自分が元気な時に、好きなものを、楽しみながら作る。

 

もし皆さんも「夕飯作りがしんどいな」と感じていたら、ぜひ「元気な時のついで作り」を試してみてください。

 

「明日の私、きっと喜ぶぞ」

 

そんな小さな企みが、日常を少しずつ楽園に変えてくれるはずです。


「めんどくさい」を攻略する 私の日常を楽園にする引き算の魔法|星野梅雨子 楽園思考を指南する在処塾塾長・生き方アドバイザー 今日は、最近の私の生活ルーチンの中で、ぐっと心が楽になった「家事との付き合い方」についてお話ししようと思います。 凸凹な私を支えてくれる、家族という存在 実を言うと、私は筋金入りの「めんどくさがり屋」です。 主婦という役割を担ってはい...
 


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自由すぎるのは毒?現代人を襲う「選択するストレス」の正体

 

自由」は案外、疲れるもの。いちご狩りとビュッフェから学んだ「選択のストレス」

 

こんにちは。いかがお過ごしですか?

先日、主人と一緒に今年2度目の「いちご狩り」に行ってまいりました。

 

ビニールハウスの中は、いちごの甘い香りでいっぱい。ポカポカと温かい日差しを浴びながら、じんわり汗をかいて、美味しいいちごをお腹いっぱい食べてきました。

 

でも、帰りの車中でふと考えたんです。 「なぜ私はいちご狩りだとこんなに満足するのに、ホテルのビュッフェ(バイキング)だとあんなに疲れてしまうんだろう?」と。

 

今日は、私たちが無意識にさらされている「選択のストレス」についてお話しします。

 

視覚優位な私が、ビュッフェで「迷子」になる理由

 

実は私、バイキング形式の食事が少し苦手なんです。 席に座って注文する食べ放題はいいのですが、自分で料理を取りに行くスタイルがどうにも落ち着きません。

 

私は「視覚タイプ」なので、目に入る情報にものすごく影響を受けます。 ズラリと並んだ料理を端から見て歩くと、スライドが切り替わるように次々と情報が脳に飛び込んできて、脳内が渋滞を起こしてしまうんです。

 

「あれも美味しそう、でもこれも良さそう。私何が食べたいの?」

 

選ぶこと、決めることに脳のエネルギーを使い果たしてしまい、食べる頃には「選択疲れ」でぐったり。結局、何を食べたかったのか分からなくなってしまう。これが、ビュッフェで私が味わう「チョイス・ストレス(選択の負荷)」の正体なんだと思います。

 

いちご狩りの満足度は「選ばなくていい安心感」

 

ところが、いちご狩りは違います。 目の前にあるのは「いちご」だけ。

 

悩むとしたら「品種」か「どれが赤いか」くらい。選択肢が極限まで絞られているから、迷う必要がありません。ただ、目の前の赤いいちごを摘んで、口に運ぶ。その単純な動作の繰り返しが、驚くほど心を安定させてくれます。

 

「これだけ食べていればいい」という潔さと安心感。

 

この「ストレスのなさ」こそが、いちご狩りのあとの半端ない満足感に繋がっていたのです。

 

ドラマ『おいハンサム!!』が教えてくれた、選択肢の罠

 

この気づきで思い出したのが、ドラマ『おいハンサム!!』の一場面です。 「生活家電の色をカラフルにしたら楽しいはず」と提案して失敗した部下に対し、上司がこう諭すシーンがありました。

 

「人は選択肢が多すぎると選べない。選ぶ苦しさがストレスになり、結局は『選ばなくて済むもの』へ逃げてしまうんだ」

 

自由は何でも選べて豊かに思えますが、実は大きなコスト(脳の疲労)を支払っています。家電も、仕事も、そして子育ても同じかもしれません。

 

子どもに習い事でも、将来の夢でも「何でも自由に選びなさい」と全方位の選択肢を丸投げするのは、一見寛容ですが、子供にとっては「どうすればいいの?」という不安やストレスになりかねません。親の役割は、その子の得意や好きを見極めて、ある程度選択肢を「狭めて」、選ぶハードルを下げてあげることにあるのではないでしょうか。

 

時に「選ばない」という贅沢を

 

私たちは毎日、朝食は何にするか、服は何を着るか、夕飯の献立はどうするか……。何千回、何万回と「選んで決める」を繰り返しています。

 

もし、あなたが日々の生活に「なぜか分からないけれど疲れている」と感じているなら、それは情報の渦に巻き込まれた「選択疲れ」かもしれません。

 

たまには、いちご狩りのように「これしかない」という環境に身を置いてみてください。選ぶ苦しみから解放され、ただ目の前の喜びを満喫する。そんな時間が、あなたの思考をリセットし、しなやかさを取り戻してくれるかもしれません。

 

皆さんは今日、何を選びましたか? もし選ぶことに疲れたら、次は「選ばない贅沢」を自分に許してみてください。楽になることもあるかもしれません。

 

 

記事を読んでくださって ありがとうございます


自由すぎるのは毒?現代人を襲う「選択するストレス」の正体 - 思考のダイアローグ | stand.fm いちご狩りの満足度が「食べ放題ビュッフェ」より高い理由、気づいてしまいました。 それは「選ばなくていい」という究極の安心感。 情報過多の現代、私たちは「選ぶこと」に疲れ切っています。 自由って、実は案外ストレスフル...
 


大人世代の推し活論 熱狂の裏に隠された「向き合うべき自分」のサイン

皆さんは今、夢中になっている「推し」がいますか? 最近では、特定のアイドルや俳優だけでなく、政治家である高市総理の持ち物や行動に注目が集まる「サナ活」のような現象も起きるほど、世の中は「推し活」があふれています。


誰かを応援し、そのエネルギーを自分の糧にする。それは、とても素晴らしいことです。しかし、その「熱量」が度を越しているとしたら、そこには意外な心のメカニズムが隠れているかもしれません。


今日は、「推し活と自己逃避」、そして「自分の人生を楽園にするための問題解決」についてお話しします。


若い頃の「真似ぶ」と、大人の「執着」の違い


若い頃の憧れや推し活には、大きな意味があります。 未熟な時期に、素敵な誰かを「真似る(学ぶ)」ことで、自分にないものを吸収し、自己を形成していくプロセスの一部であると考えられるからです。


しかし、ある程度の年齢を重ね、自立した大人が「異常なほどの熱量」で推し活に没頭し、資産や時間を注ぎ込み続けているとしたら…。少しだけ立ち止まって、自分に問いかけてみてほしいのです。


「私は今、何かの問題から目を逸らすために、この世界に逃げ込んでいないだろうか?」


「甘くホットな世界」は、自分を腐らせることもある


推し活の世界は心地よく、ワクワクに満ちています。日常生活に辛いことや、見たくない問題がある時、そこは最高の「避難所」になります。


命に関わるような危機なら、全力で逃げることも正解です。 しかし、本来向き合うべき自分の課題。例えば「人間関係のトラブルや、生きづらさの根源」から逃げ続けるために推し活を利用しているとしたら、その「甘い世界」は、徐々にあなた自身の成長を止めてしまうかもしれません。


刺激がないと元気が出ない状態は、自分を甘やかしているサインなのかもしれません。 本当に幸せな状態とは、刺激に頼らなくても、日々を淡々と、清々しく、安心感の中で生きられることだと私は考えています。皆さんはどう思いますか?


10年かかった「思い変え」を、半年で。


私自身、かつては非常に頑固で、自分の問題から目を逸らして生きていました。その結果、一番大切にしたい子どもたちにまで悪影響を与えていたことに気づいた時、激しい後悔と恥ずかしさに襲われました。


そこから10年。自分自身の思考の癖と向き合い、「地獄のような現実を、思考一つで楽園に変えるメソッド(思い変え)」を構築してきました。


向き合う作業は、正直に言ってつらく、苦しいものです。 自分の「恥部」や「見たくない部分」をさらけ出す必要があるからです。 しかし、そこを乗り越えて自分を律し、問題を解決し始めると、驚くほどまわりの世界がうまく回り出します。


嫌な人が周りからいなくなる


物事がスムーズに解決する


必要とされ、愛されている実感が持てる


私が10年かけてたどり着いたこの境地を、在処塾では「1対1の個別セッション」を通じて、約半年で身につけられるようお伝えしています。


あなたの人生の主役は、あなた自身


推し活が悪いわけではありません。余白として楽しめるなら、それは素敵な趣味です。 でも、もし「何かに依存しないと立っていられない」と感じているのなら、一度自分自身と向き合う勇気を持ってみませんか?


自分の問題を解決できるのは、世界で唯一、あなただけです。 もし、一人で向き合うのが難しいと感じたら、ぜひ一度お話ししましょう。あなたが「自分自身の人生」という最高の楽園を歩き出すお手伝いをさせていただきます。


体験会のお知らせ


自分の本当の問題がどこにあるのか、一度整理してみませんか? 在処塾では、個別の体験会を実施しています。 「今の自分を変えたい」「清々しい毎日を過ごしたい」という方は、ぜひ詳細をチェックしてみてください。


在処塾体験会 私たちの生きる目的は「幸せになるため」なのでしょうか?私はそうは思いません。私たちはただ「生きる」のです。そこに目的や目標を持ったり、意味を見出すことで自分はここにいていんだと生まれた意味を持ちたいからそう思いたいのかもしれません幸せは生き...
 


記事を読んでくださって ありがとうございます

大人世代の推し活論。熱狂の裏に隠された「向き合うべき自分」のサイン - 思考のダイアローグ | stand.fm 「推し活」に時間もお金も全振り。 それ、実は「見たくない現実」からの逃避かも……? 「何かに依存していないと不安」なら、それは心が発しているサインかもしれません。 「甘い刺激」でごまかすの...
 


他人軸になりやすい人には是非この言葉を使ってほしいと思います。

 

みなさんご機嫌いかがですか。今日は「他人の言動に振り回されやすい」と感じる方へ、“魔法のひと言”をお届けします。結論から言うと、その言葉は——「あなたはそう思うのね。」たったこれだけです。冷たく突き放すのではなく、相手の意見を尊重しつつ、ほどよい距離を作る言葉です。事実と解釈をいったん切り分け、「では私はどうしたい?」と自分にピントを戻すスイッチにもなります。


日本人は空気を読むのが上手ですよね。渋谷のスクランブル交差点でぶつからないのは、互いの気配を読みながら「私はこっちへ行きます」という意思を同時に出しているから。意思の輪郭が弱いと、他人のベクトルに飲み込まれてしまいます。うまく人を避けることができず、ぶつかってしまうかもしれません。空気を読む優しさと、自分の意思を示す強さを両立するからこそ、スクランブル交差点でうまく道路を渡り切ることもできます。これを人間関係に重ねてみると、優しさと強さを持ちつつ、自分と他人とを切り分けることで思考を整理しやすくするとうまくやっていけるのですが、その時に使えるのが「あなたはそう思うのね」なんです。


例えば差し入れで「お好きなものどうぞ」と言われたら、最初に自分の好きなものを取ってみる。これはワガママではなく、意思表示。あなたの好みが見えると、相手も配慮の的が分かり、距離感が整います。これは「私はこう思う」であり、相手に対しての助け舟でもあるということです。


人間関係には“3:4:3(さしみ)の法則”があると私は思っています。十人いれば三人はあなたが好き、四人はどちらでもない、三人は苦手。それで十分。全員に好かれようとするほど、心はすり減ります。好みは相手の自由であり、あなたの自由でもあります。だからこそ相手の領域を尊重しつつ、自分の領域を守るために「あなたはそう思うのね」。その一言が、やさしく線を引いてくれます。


先回りして何でもやってあげるのは、一見やさしさに見えて、相手の学びを奪うこともあります。「あなたはそう思うのね」は課題の分離のはじめの一歩。相手の課題は相手に返し、自分の責任範囲に丁寧に集中すること。言い換えるなら、「そう感じていらっしゃるんですね。私はこうします」「ご希望は理解しました。今日はAを先に進めますね」と、相手を否定せずに自分の方針を静かに置く——この姿勢です。


人に振り回されて疲れてしまったら、「あなたはそう思うのね。」といってみてください。行ってみるとそれは行動になり、思っていること(思考)と行動が一致します。そこから変化がはじまるのです。まずは他人に振り回されないこと。自分の生き方の手綱を、人に持たせてはいけません。



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人に振り回される時この言葉をいってみて - 思考のダイアローグ | stand.fm 他人軸になりやすい人には是非この言葉を使ってほしいと思います。 *考え方の癖、認知の歪みで自分を苦しめていませんか?
それらを修正する方法をお教えします 人生をもっと生きやすく、そしてこの世界に貢献でき...
 




幸せの純度を高める“手放す力”

私たちが日々の暮らしのなかで抱えているもの

それは「物」だけでなく、思考の癖やこだわり、安心への執着など、目に見えないものまで含まれています。

今日は自分が抱える様々なものを「手放す」ということについて、お話してみようと思います。


■なぜ手放すのが怖いのか

人は本能的に、変化に不安を感じます。

なぜなら「いつも通り」であることは安全の証だからです。

今まで問題なく生きてこられた経験があるわけですから、そんな安心できる環境を手放すことはなかなか難しいことは、容易の想像できます。


でも、両手に何かをぎゅっと掴んでしまっていたら、新しいものが目の前に来ても受け取ることができません。新しいチャンスや出会いを得るには、何かをいったん手放す必要があるのです。


ただ、そのときに私たちが感じるのは、不安や恐怖。

「これを手放したらもう戻ってこないのではないか」「今の安心を失ってしまうのではないか」――そんな思いが、手を固く閉じさせてしまいます。


■手放すことは消えることではない

でも実は、「手放す=消えてなくなる」ではないのです。

一度掴んだ経験や感覚は、必ず自分の中に残っています。イメージとしては、自分のまわりにふわふわ漂っている感じ。必要なら、また掴み直すこともできるのです。


だからこそ大事なのは、「自分が主体で選べる」こと。

掴むのも、手放すのも、自分の意思で決められる状態こそが自由です。

こだわりに振り回されているとき、私たちはそれに支配されているのかもしれません。でも主体性を取り戻せば、「今は掴まない」という選択肢も持つことができますよね。


■幸せの純度を高めるために

変わることは面倒くさいし、勇気も努力も必要です。

「まあ、このままでいいか」と思えば、人は流されるままでも生きていけます。でも、それは自分の幸せや充実を小さくしてしまうことでもあるのではないでしょうか。


幸せの量、というとちょっと違うかな。量というよりも、その質・純度を高めていくこと。

「昨日よりも少し軽やかに」「前よりも少し自由に」――そんな感覚を得るためにこそ、手放すという知恵が役に立つのだと思います。


手放すことで空いた手に、新しい可能性を迎え入れる。

あるいは、何も持たずにただ軽やかに歩いてみる。

そのどちらもが、自分を自由にする方法です。


■自分軸で選ぶということ

大切なのは、周りの価値観や「こうすべき」という思い込みに縛られず、自分の軸で選ぶこと。

そのうえで、周りへの想像力や思いやりも忘れない。


「手放す」とは、自己成長のための挑戦であると同時に、自分を縛る鎖から解放される行為でもあります。


たとえ一度手放したあとに掴み直したとしても、それはその時点での自分が選んだ答え。経験した分だけ、次の選択はより豊かになるはずです。


手放すことは、一番簡単に思えて、一番難しいこと。

けれど、いざやってみると「あれ、こんなものだったのか」と笑えるくらいに軽やかさをもたらすこともあります。


だからこそ、怖がりすぎずに一度やってみてほしいのです。

その選択こそが、自分自身を自由にし、幸せの純度を高めていく一歩になるのですから。

せっかく生きているなら、チャレンジしてみませんか?

違っていたりしっくりこなかったら戻るという選択をすればいいだけです。


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幸せの純度を高める“手放す力” - 思考のダイアローグ | stand.fm 今回は『手放すイメージ』について、話してみました。 「幸せを増やす秘訣は“手放すこと”。 ぎゅっと握りしめているものをゆるめたとき、意外なほど軽やかで自由な自分に出会えます。 手放すのは怖い...
 

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意志力を使いこなすコツは 無理せず流れに身を任せること

本日のお話は、「意志力」というテーマでお届けします。皆さんは意志力という言葉をどんなふうに捉えていますか?


意志力とは、何かを成し遂げるために自分の考えをコントロールし、行動に移す力だと思う方が多いかもしれません。でも実は、意志力って、私たちが強くコントロールしようとすればするほど、なかなかその本当の力が発揮できないことがあるんです。今日はその理由をお話ししながら、実際に私がどうやって意志力を使っているかをご紹介したいと思います。


■「意志力」と「力を入れすぎる」こと


私自身、もともとはとても強い意志を持つタイプでした。効率的に物事を進めようとしたり、目標を達成しようとすると、ついつい「こうなればいいのに」「ああなればいいのに」と思ってしまう。


すると自然に「もっと頑張らなければ」「どうしてもこうしたい!」という気持ちが湧いてきます。しかし、こうした気持ちを強く持ちすぎると、実は逆効果になってしまうことがあるんです。つまり、力を入れすぎてしまうと、余計にうまくいかない。


■過密スケジュールと私の意志力の使い方


先日、私のスケジュールはかなり過密で、まるで意志力が試されるかのような日がありました。午前中に3時間のセッションがあり、その後すぐに大学病院でCT検査を受ける予定が入っていたんです。しかも病院は少し遠く、混雑する時間帯だったので、余裕を持って行かなければならないというプレッシャーがありました。


こんな時、私はつい「セッションを早く終わらせよう」「少しでも余裕を作らなきゃ」なんて考えてしまいがちです。しかし、そんな気持ちが湧くと、「あぁ自分都合でどうにかしたいという気持ちになっちゃってるなぁ。コントロールしようとしている」と思うようにしています。そしてそんな時にこそ私は「なるようになる」と自分に言い聞かせます。「いろいろ考えたところで、結局は流れに任せるしかない」と。結局、何も無理に変えようとせず、セッションをする事にしました。


■思わぬ展開:突発的な出来事


そんなこんなでセッションが始まってしばらくして、突然、クライアントさんのスマホがなりました。「保育園からで、子どもが具合が悪くてすぐに迎えに行かなきゃいけない」とのこと。その瞬間、「あ、こういうことか!」と思いました。もし私がセッションを早く切り上げていたとしても、結果的に同じことが起きたかもしれませんが、結局セッションを30分早く終了する事になり、クライアントさんは自宅にいたことでスムーズにお子さんをお迎えに行けたようですし、私も時間に余裕を持って、受診に向かうことができました。


このように、何もかもが「ちょうど良いタイミングで」うまく収まったわけです。これも一つの示唆です。何かをコントロールしようとすることが逆に空回りしてしまうことがあるけれど、何もしないでお任せすることで、結果的に必要なものが最適なタイミングでやってくる、ということです。


■思考の力:お任せすることの大切さ


「なるようになる」「大丈夫」と心を落ち着けてお任せする。私はこの考えを生活の中でよく実践しています。例えば、混んでいるお店や駐車場で、普段なら焦ってしまう状況でも、「大丈夫、すぐに空くはず」と考えます。実際、驚くことに、目の前の駐車場が急に空いたり、席が空いたりすることがよくあります。


こうしたことが偶然だとしても、私はその「ちょうど良さ」に感謝するようにしています。この「お任せする」力こそが、意志力の真髄なのかもしれません。焦らず、力を抜いて、物事を流れに任せることで、結果として自分にとってちょうど良いものがやってくるのです。


■手放しと感謝の力


意志力とはりきんで物事を成し遂げることではなく、むしろ「手放し」「お任せ」といった柔軟さが重要なのだと私は感じています。力を抜いて、できることをしてあとは流れに身を任せる。その結果、予期せぬ良いことが起きることもあります。この「手放す」ことは、私が実践しているトレーニングの一つで、日々の中で意識的に行っています。


■意志力と柔軟さの関係


意志力を強く持つことは重要ですが、あまりにも固執してしまうと、逆に自分自身を苦しめることになります。むしろ、柔軟に考え、状況に応じてお任せすることで、物事がスムーズに進むことが多いという実感があります。私にとって、意志力は「頑張る」「無理をする」ことではなく、必要な時に適切に力を抜き、流れに身を任せることなのではないかと思うのです。


今日は、私自身の体験を通して意志力の使い方をお話ししました。意志力を正しく使うことで、物事はスムーズに進み、予期しない素晴らしい結果が得られることもあるんですよ。大切なのは、柔軟さを持ち、流れに身を任せること。これを実践することで、毎日の生活がより楽になり、気持ちも楽に過ごせるようになります。


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意志力を使いこなすコツは 無理せず流れに身を任せること - 思考のダイアローグ | stand.fm 意志力をどう使うか知っていますか?無理にコントロールしようとするのではなく、柔軟に流れに任せることで、人生がスムーズに進むことを実感しました。私の体験をもとに、意志力の本当の力についてお話しします。 ▶️在処ホーム...
 


AIの“やさしさ”に酔わないで!本当の痛みと向き合う勇気

私たちのまわりには、AIを友達のように使う人がどんどん増えているように感じます。
相談をすると、まるで心を読んでいるかのように共感し、励ましてくれる──

そんな“優しさ”をAIに見出している人も少なくないでしょう。
でも、そこで立ち止まって考えてみませんか?その「心」は、本当に存在するものなのでしょうか。


AIに心はない。

これは誰もが知っている事実です
。AIが発する共感や励ましの言葉は、膨大なデータの集積から導かれた「表現のひとつ」にすぎません。にもかかわらず、私たちはその言葉を目にした瞬間、「ああ、わかってくれている」と感じ、「元気づけられた」と思ってしまう。人形や車、ぬいぐるみに名前をつけて話しかけるのと同じように、AIという「無機物」に魂があるかのように扱ってしまうのは、人間の想像力が「ないもの」を勝手に補完しようとするからではないでしょうか。


しかし、この想像力こそが、私たちの人間関係においてもっとも大切な「思いやり」の源なのだと思います。
相手の気持ちを想像し、配慮を生み出す能力は、まさに想像力なしには成り立ちません。
だからこそ、AIが放つ「やさしい言葉」に触れてホッとする瞬間もあるけれど、それはあくまで“対症療法”であって、心の奥底にある問題を解決するものではないのです。


私が思うに、「心がある」とは、身体を持ち、そのフィジカルを通して体験や経験を重ねること。痛みを知り、笑い、迷い、立ち上がる──そうした積み重ねが、いわゆる“魂”を育むのではないでしょうか。私たちはまさに身体と魂のハイブリッドであり、その実感こそが「生きている実感」につながります。けれど、AIに励まされ、わずかな安心を手に入れたとしても、自分自身の深い感情や無意識のクセを変えるには至りません。


では、AIとはどう付き合えばいいのか?
私たちには、AIをツールとして賢く使いながら、同時に一定の距離感と客観的な視点を保つ必要があります。


  1. AIの言葉に救われる自分を否定せず、あぁそうかと受け止める
  2. それが「情報の表現」であることを忘れず、依存しすぎない
  3. 本当に向き合うべきは、自分自身の身体感覚や体験から湧き上がる声であることを意識する


AIに慰められてホッとしたその後、

「これで私は本当に癒やされているのか?」

「心の芯(真)の部分に、ちゃんと届いているのだろうか?」

と自問してみてください。

AIのやさしさを享受しつつ、私たちが本当に大切にすべきは、自分の身体を通して感じる「痛み」や「喜び」という、ほかでもない自分自身の声です。AIと適度な距離を取りながら、自分の心に耳を澄ませる習慣こそが、真の変化を生み出す第一歩になるでしょう。


AIの“やさしさ”に酔わないで! - 思考のダイアローグ | stand.fm AIがくれる“やさしさ”は、本当に心からの共感でしょうか?AIはデータから言葉を生み出すツール。励ましは“対症療法”にすぎません。 デジタル時代を生き抜くヒントをお話しします。 ▶️在処ホームページ ...
 


TASTEMARKET
パーソナルスタイリスト堀口桂子先生のサイト。
魂のカタチをファッションから視覚化するスペシャリスト。究極のファッションコンサルタントを体験してください。

旬顔ヘアメイクレッスン
ヘアメイクアップアーティスト三上さくらさんのサイト。
自分らしいヘアメイクに自信を持ちたい人に。メイクで心を整える。