今回のお話は「言葉は思いを込めないと話してはいけないのか」というお話。
ある方のご相談で、職場での人間関係がうまくいかないという。
そこで「コミュニケーションの中で、職場の人にありがとうと言っていますか?」とうかがいましたら、「??言ってるつもりですが。。」とのお答え。
なるほど・・・
それはおそらく言ってない。
「ありがとう」と言わなければいけないと思っているうちは、おそらくいえていないことがほとんどです。
ではなぜそうなるのか?
私たちの世代の方たちは、義務教育で「道徳」ってやつをお勉強したかと思います。
それって簡単にいうと心のお勉強なわけですが、子供の頃など初級編としては「喧嘩両成敗」とか「心を込めておはなししましょう」とかいうことはやってもいいと思うのですが、大人になるにつれてそういうことではどうにもならないことにぶつかって、それでも子供の頃の「道徳」をひきづっていると、いまくいかないことが多く起こることがあります。
そこに「ありがとう」がいえない原因があるように思います。
心の底からありがとうと思えていないのに。言葉にするのは良くないという思い込みがあるからです。
いやいや、思いがなくとも「ありがとう」は言わなくてはなりません。
これはお腹が空いたらご飯を食べるとか、そういう習慣と同じことです。
よく考えてみて下さい。
気持ちがなくとも習慣としてやっていることで、私たちは生活をしています。
これが生きる時には大事な事もあって、相手を罵ったり批判する時は、何も考えずに感情のおもむくままに反応で言葉を発するのに、どうして良い言葉である「ありがとう」には気持ちを乗せないといけないのでしょうか。
人間関係をうまくやっていくためには「行動と心(感情)を切り分ける必要があると、私は考えています。
例えば仕事中、あれこれ口や手を出されるのはとても不愉快だが、そうするのは私の仕事ぶりを心配してのことかもしれないと考えたら、
「私の仕事ぶりは〇〇さんからみたら至らないと見えるのでしょうね。心配してくださってありがとうございます。でも他の職員さんのいる前で私の仕事に多くの指摘をされてしまうと私の信用にも関わりますし、私も悲しい気持ちになってしまいます。できれば二人きりの時に指導していただけると助かります。よろしくお願いします」
と言ったらどうでしょう。
色々言われて腹が立ったからその相手を無視したり、反抗したりするのは簡単です。
もちろんそんな気持ちになればそんな相手にありがとうと感謝する気持ちが持てるはずもありません。
しかしここで何かしらその人の良いところや感謝できそうなことが見つかったら、気持ちは「ふざけんなよ、この野郎!」と思っていても言葉はありがとうと伝えるのは、人間関係を円滑に進めるのに必要な詭弁と言われるものです。
自分の気持ちに嘘はついてはいけません。
ですから
「私の信用にも関わりますし、私も悲しい気持ちになってしまいます。」と正直な気持ちもちゃんと伝えます。
しかし「心配してくれた」のかもしれないのであれば、たとえそうでなくても私はあなたの態度をそうとらえたという点で嘘ではないわけなので、「心配してくれた」と私が感じたそのことについて「ありがとう」と感謝を伝えるのです。
みなさん「心と行動」は切り離すことができるものです。
そしてそこを切り分けることで、人との関係をうまくやっていくことができます。
何でも気持ちがなくてはいえない言葉など、ありはしません。
言葉はうまく使う一つのスキルであり道具です。
使いこなすことのほうが大切なのではないでしょうか。音声配信ブログ 毎日更新しています