就活ではなくて、就活のお話。
私は病気を持っている事もあって死んだ後困らないようにと、エンディングノートのようなものを書いています。
市販のものを見ると、葬式はこうしてくれとか、遺産はこうしてくれとか書くようにできているのだけれど、私はPC やSNSのパスワードとか通帳や貯金のことなどそういうことしか書いていません。
なぜなら、お葬式は生きて残っている人がやってくれることだからです。生き残っている彼らが私とのさようならをする儀式だから。
死んだ私は何もできないので、彼らのお任せするしかできませんよね。
もし私の希望を叶えようとしてくれることがあったとしたら、それは私が生きていた時に彼らと良い関係が築けていて、思いがちゃんと届いているということなのではないかと思います。
「この世のものは全て借りもの」ですから、寿命がきて体もお返しすることになるその後始末をお願いするのですから、あれこれ言うのも格好悪い気がしてしまいます。
生きているうちに棺桶に入る体験てやつも、私にはなんだか死者に対して不敬な気がして楽しそうにやっている人の気持ちがよくわかりません。避難するつもりはなくて、私にはわからないと言うだけなんですけれど。
死者にしかわからない世界もあっていいんじゃないかって思うからなのかもしれませんね。
最近よく聞く言葉「HSP」
「繊細さん」なんて呼ばれていますが、心理学用語なんです。
自己肯定感、なんて言葉も心理学の用語ですし、今や当たり前のように使われています。
ただ流行りのように扱われるようになってから、私には気になることがあります。
HSPが取り入れやすく、人との関係や生きにくさをこれが解明してくれたように感じた人の中には、それを理由に「感性が強くて繊細だから、うまくやれないのは仕方がない」と言い訳に使う人が多くいることです。
実際うまくやれないことで、不安になったり心配になったり、苦しくなったりすることがあるのはわかります。でも自分の生きづらさを何かのせいにして、自分で修正することをしない理由にするのはいかがなものかと思うのです。
人は陰と陽。そのバランスが大切で、良い事もあれば悪い事もあります。
一概にいいことばかりに目を向けるのではなく、問題があることや悪いと思えることを修正することが大切です。そうしなければ、何も好転することはないからです。
嫌な部分を無視したり、そこから逃げるのは簡単。
そうすることで少しは楽になるかも。しかしまた同じことは起こるでしょう。対処を学んで、変化していく自分を受け入れることを私はするべきだと思うのです。
逃げずに立ち向かう人を応援したいと思います。
今年のハロウィンは、渋谷の混乱もなく無事に終えたようで安心いたしました。
渋谷区長も、イベントがあれば何かと人が集まってくる名所と化したスクランブル交差点は悪いことの象徴になってしまって困っておられたことでしょう。「渋谷に来ないでください」発言をした気持ちもわかります。
私は当日可愛らしいハロウィンの仮装をした女の子を見て、ほんわかした気持ちになりつつ、もうどうせ日本のハロウィンはただの仮装イベントに成り果てているのだから、大人ではなく子どものイベントとしてやればいいのにと思ってしまいました。
誰も元は北欧神話からのものだとか、死者の復活だとか言っても、ほぼ無宗教で多神教の宗教観だけが伝統というか文化として根付いているように見える日本人の感性でいくと、海外の宗教色の強い祝日はただのイベントや人が集まる口実にしかならないように思います。
しかも仮装なんていうと、大人がやればちょっと痛々しく見えてしまうし、そうでもしないと日々の鬱憤が晴らせないと思われるのも大人気ない。
だからもう仮装イベントとして、子供だけが楽しむものにしたらいいじゃないかなって思ってしまいます。もうアメリカの「トリックオアトリート」でいいじゃないですか。