私は文章を書くときに、いつも気にかけていることがあります。
それは、「読みやすさ」。
パソコンで文章を打ち込むとき、
変換キーを押せば、いろんな漢字がぱっと出てきますよね。
普段、話し言葉ではよく使うけれど、
漢字にしてしまうと急に読みづらくなる言葉も、意外と多いものです。
これは、変換ありきで文章を打っていると、
つい見逃しがちなことだなぁと、最近改めて感じることがありました。
たとえば、「お咎め」。
(おとがめ)と読むこの言葉、
先日、あるブログで漢字表記で出てきたのですが、
私はふと立ち止まってしまいました。
「これ、なんて読むんだっけ?」
すぐに調べて「ああ、そうだった」と思い出したのですが、
そこそこ本を読む私でも、迷ってしまう瞬間があるんだなぁと、苦笑い。
もちろん、これは私の知識不足と言われれば、それまでです。
でも、人に読んでもらうための文章であるならば、
「一瞬でもつまずかせない工夫」は、とても大事なことだと思います。
もし私なら、
きっと「お咎め」とは書かずに、
ひらがなで「おとがめ」と表記するでしょうね。
私が良く使う「拘り(こだわり)」なんかも、そうですね。
漢字で書いた方が意味が引き締まる場面もあれば、
逆に、読み飛ばされたり、硬く感じられたりすることもある。
文語と口語。
文字と声。
その違いを意識しながら、どちらがふさわしいかを、
その都度、選んで表現したいと思います。
文章は、誰かに届けるものです。
「わかりやすさ」や「読みやすさ」は、
書き手から読み手への、思いやりだと、私は思うのです。
読みにくさも、もちろん時には表現の一部になり得ます。
でも、それは意図して選ぶものであって、無意識に押し付けるものではないと思います。
最近はAIを使用して文章を書かれる方も多いでしょう。
それが悪いことだとは思いません。
文章を整理したり、まとめたり、AIにサポートしてもらうことで新しい切り口の表現が生まれることもあると思うからです。
ただこの読みやすさや、自分らしい語り口になっているかは、最後ちゃんと出来上がった文章を読んで、手直しすることは大切ではないでしょうか。
自分が発信する内容が、自分らしくなかったら上手く書けていても、面白くはないと思うし、読み手にはそれがちゃんと感じられるものです。
読みやすさは思いやりですし、自分らしさは自分へのリスペクトです。
文章を書くうえで、私はこれらを忘れないようにしていきたいと思います。