みなさん、ご機嫌いかがですか?
「思い換えで日常を楽園に」をテーマに、ちょうどよく、しなやかに生きるためのヒントになればいいな、なんてことを思いながら、私が日々考えていることなどをお話ししております。
しばらくぶりの更新となってしまいました。台風が来たり、何やかんやと慌ただしく過ごしたり、あとは、お家の梅の木に梅が山ほどなりまして……。ここ最近は、その「梅仕事」を永遠と続けているような、そんな日々を過ごしておりました。
体調は相変わらずの“低空飛行”ではありますが、落ちずに何とか飛んでいるといったところでしょうか。
実は最近、ずっと使っていた2種類のインスリン(すぐ効くショートと、1日効くロング)に加えて、「マンジャロ」が追加されました。2.5ミリグラムから始めて今日で7.5ミリに増量したところです。少し前に世間で色々と話題になったお薬ですが、私はあくまで「2型糖尿病」の治療として大切に使わせていただいています。これに関しては、色々と思うことや言いたいこともあるのですが、それはまた、どうしてもお話ししたくなった時にでも、ゆっくり書かせていただきますね。
永遠に続くような、愛おしい梅仕事
今日は久しぶりに雨が降っていなかったので、お外に洗濯物を干すことができました。そんな晴れ間のなか、今年もたくさんの梅を漬けました。
梅酒(5リットル瓶にひとつ)
梅シロップ(氷砂糖のほか、今年は「きび砂糖」を使ったものも別で作ってみました)
ハチミツ梅(青梅で作った、甘じょっぱいお漬物)
実は主人が、梅干しを含めてお漬物があまり得意ではないのです。でも、箸休めにちょうどいい「ハチミツ漬け」のレシピを見つけて作ってみたところ、これが大成功。お塩で一度漬けてからハチミツに漬けるのですが、甘じょっぱくて本当に美味しいんです。主人は、私が作った手前「食べたくない」とは言えないようで(笑)、一生懸命食べてくれています。そんな彼の姿を見るのも、また微笑ましいものです。
また、完熟した梅を「ラッキョウ酢」で漬けるという方法も試してみました。
通常の梅干しだと、干したり重石をしたりと手間がかかりますし、万が一カビてしまったら本当に悲しい気持ちになりますよね。でも、ラッキョウ酢漬けなら、消毒さえしっかりすれば、ただ漬けるだけ。重石もいりません。
去年試してみてすごく美味しかったので、今年も作りました。しっかり乾燥させて寝かせる梅干しと違って、すぐにしっとりとした美味しさを味わえるのがお気に入りです。
もちろん、伝統的な梅干しも漬けています。今はまだ梅酢に浸かっている最中で、土用干し(夏の強い日差しで干す作業)の時期をじっと待っているところです。
今年は、主人が気を利かせて、自分は苦手なのに私のために「赤じそ」を買ってきてくれました。本当に優しい人だなと感謝しつつ、今年はYouTubeで見つけた「真空パックで漬ける方法」に挑戦しています。動画で実際の工程を見ると、視覚派の私はすごく分かりやすくて、頭に入りやすいんですよね。
今、我が家には瓶がずらりと並んでいます。「来年の梅の時期までに食べきれるでしょうか?」
夏の野菜で、身体を循環させる
ほぼ引きこもりのような生活を送っている私ですが、家の中でできる「作り置き」の料理が、日々のささやかな楽しみになっています。
最近は、今が旬のズッキーニを使って「ズッキーニのキッシュ」を作りました。
地産地消の農協へ行くと、新鮮なズッキーニがたくさん並んでいて嬉しくなります。キッシュと聞くと難しそうですが、お好みの野菜を炒めて、器に入れてオーブンで焼くだけの実はとても簡単な料理です。卵を使うので、お野菜とタンパク質が一緒に摂れるのも魅力的。生クリームを入れるとこってりリッチになりますが、私は少しあっさりめの牛乳で作っています(豆乳やお豆腐も試しましたが、洋風の味に寄せたい時は牛乳が一番しっくりきます)。
そして、夏といえば「ラタトゥイユ」ですね。
茄子、パプリカ、ピーマン、トマトといった夏野菜を、ひたすらニンニクとオリーブオイルで炒めて、野菜の水分のみでコトコト煮込みます。
私は腎臓の難病があるので、利尿剤を飲んでいる関係で、お水をたくさん(水中毒になりそうなくらい)飲みます。そのため身体がむくみがちなのですが、だからこそ、カリウムやナトリウムといったミネラルのバランスがとても大切になります。
夏野菜は、身体に水分を入れ、そして余分なものを出すという「循環」を助けてくれます。茹でたり炒めたりすると逃げてしまう栄養分も、煮込み料理ならスープごと全部いただけるのがいいですよね。
ラタトゥイユを作っていると、「あぁ、夏が来たんだな」としみじみ感じます。
ちなみに、ソーセージやベーコンを入れたくなるお料理ですが、個人的には「お野菜だけ」で作るのが一番美味しいと感じています。息子にせがまれてお肉を入れたこともありますが、やっぱりお野菜だけの方が、素材そのものの地味溢れる優しい味が身体にじんわり染み渡る気がするのです。
「ただ、淡々と生きる」ということ
日々の生活といえば、寝ているか、食べているか、料理をしているか。そんな静かな循環のなかにいます。
若い頃は、「私は何のために生まれたんだろう」「社会に何か爪痕を残さなきゃいけないんじゃないか」「どうやって社会貢献をして喜びを得ればいいのだろう」と、生きる意味について一生懸命考えて、探して、もがいていた時期もありました。
思いつくことは一通りやってみたつもりです。そして、その経験を経たからこそ、最近ようやくひとつの答えに辿り着きました。
それは、「生きる意味なんて、最初からいらなかったんだな」ということです。
もちろん、自分探しをしたり、天職を追い求めたりしている方を否定するつもりはまったくありません。むしろ、一生懸命考えることは素晴らしいことですし、私もその道を通ってきたからこそ、今があります。
ただ、今の私が至った境地は、「人はただ生まれて、ただ淡々と生き、ただ死んでいく」という、とてもシンプルなものでした。
それは「何もしない」という意味ではありません。目の前に起きた出来事に、自分なりに一生懸命向き合っていくということです。
お友達と喧嘩をしたら、仲直りするために謝ったり、時にはぐっと我慢したり。家族を支えるために働いたり、恋愛をして、結婚をして、子育てをして、親戚付き合いをして……。そうやって目の前の事象をひとつひとつ受け止めたり、時には逃げたり、怒ったり悲しんだり笑ったりしながら、感情を処理して生きていく。
生きるって、本当にそれだけのことなんだなと思うのです。
それを「つまらない」とは思いません。毎日、美味しいお料理を作ったり、主人とあぁだこうだ言いながら梅の瓶を覗き込んだり。一見、何でもないような小さなことに、ふわっとした温かい喜びを感じること。それ自体が「生きる」ということなのだと気づいてから、しゃかりきに「何かをやらなきゃ」と思わなくなりました。
昔なら「悟り世代の若者みたい」と言われたかもしれませんが、決して悟ったわけではなく、ただ「気づいてしまった」のです。今、自分にとってちょうどいい、楽な状態で毎日を生きられていること自体に、感謝しかありません。
こう思えるようになったのは、悩みに振り回されなくなったことが大きいと感じています。
悩みや不安が完全に消えたわけではありません。ただ、眠れないほどどうにもならない不安に襲われることがなくなったのです。
それは、「なぜ?」「どうして?」と原因を突き詰めるのをやめたから。
悲しみも、苦しみも、不安も、原因なんてなくて「ただ、そこにあるだけ」。それを自分がどういう風に見るか、それだけの違いなのだと気づけたから、とても心が楽になりました。
今は平和な日本で、安心して暮らせる環境があるからこそ言える言葉かもしれません。もし戦争が起きたら、また違う受け止め方になるのかもしれませんが、今は、目の前にある「ただ生きる」という日常を、死ぬまでただ続けていきたいなと思っています。
まだまだお若くて、「そんなこと言ったって……」と思われる方もたくさんいらっしゃると思います。それでいいのです。その時々に、向き合わなきゃいけない課題がそれぞれありますから。
どうぞ、ご自身のペースで進んでくださいね。いつかきっと、自分が楽になる答えが見つかるはずです。「答えなんか出なくていいや」と思えるようになることも、立派な答えのひとつですから。そして、その答えは人生のステージによって変わっていってもいいのです。
梅雨の季節、すっきりとしないお天気が続いて湿度が高くなると、どうしても心までイライラしやすくなりますよね。私たち人間も動物ですから、お天気に影響されるのは自然なことです。
もしイライラしてしまった時は、意識して「ふぅっ」と息を深く吐き出してみてください。それだけで、少し心が軽くなることがありますよ。
皆さまもくれぐれも体調にはお気をつけくださいね。
それでは、また次回のブログでお会いしましょう。
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