今年の1月に有料老人ホームに入所した認知症の母ですが、今月ついに特養(特別養護老人ホーム)に転所できることになりました。
特別養護老人ホームとは
介護が必要な方に、介護サービスと生活の場を提供する公的な介護保険施設です。入居には条件があります。
メリット
- 費用が安い
- 24時間介護が受けられる 原則として終身にわたり入所できる
デメリット
- 民間企業に比べて倒産リスクが少ない
- 入居できるのが原則要介護3以上
- 入居できるまで時間がかかる
- 医療体制に限界がある
費用の面でも今までよりは助かるので安心しました
今までの施設では、具体的にいいますと
費用は大体1ヶ月15万から18万程度。
施設使用料と食費、診察費、車椅子レンタル代などです。
他にもオムツやパッド、ティッシュなど消耗品は持ち込みです。ここにも購入代がかかります。
私たちは3人兄弟ですから、三分割して毎月5、6万の出費でした。
これが特養になるとどうなるか。
今より費用がかからないようになると助かります。
それと基本的には終身にわたって入所できるということ。
母にしても生活環境がコロコロ変わるのは不安でしょうし、安全や安心面でもありがたいのです。
お引越しは弟と妹が特養の職員さんと一緒に車でパパッと済ませてくれました。
母はわかっているのかいないのか、それでも穏やかだったようです。
妹曰く、施設に行ったら職員に皆さんがにこやかに挨拶をしてくださったようです。今までの施設では、面会していても目があっても挨拶はなかったのだとか。。
マジか。。と思いましたが事実だったようで、
「こっちの施設の人が普通に挨拶してくれて、今までなにか足りない気がしていたんだけどあいさつだったんだね。」
なんて言っていました。
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7月7日は七夕ということで、みなさん天の川見えないかなんて思いつつ夜空を見上げたりされたでしょうか。
私にとっては父の命日になります。
なくなってもう46年になりますので、とうに三十三回忌も過ぎましたから父もあの世での修行も終わって、仏様の隣のハスの葉の上に座ることができているのでしょうか。
実際のところは三十三回忌で法要を終わりにするのは、なくなった人を覚えている人がいなくなるからなのではないかと言われています。まぁ思い出してくれる人がいなくなることは、その人が本当にいなくなるということなのは理解できるところです。
子供の頃は七夕には出前で寿司をとって食べるのが恒例でした。うちでは外食はほとんどありませんでしたが、唯一クリスマスに父がよく使っていたステーキのお店に食事に行きました。今でも私の中では寿司とステーキは特別なハレの食べ物です。
普段外食やお惣菜を買ってきて食べることがほとんどありませんでしたが、父の命日の寿司の出前は母にしても、父の亡くなった日を悲しい日だと思い出すのが嫌だったのかもしれません。
母なりの思い変えだったのでしょうか。
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母が今年に入って有料介護施設に入所しました。
同居していた弟も、サポートしてくれていた妹も精神的にも肉体的にも限界だったのでとても安心しました。
そこは特別養護老人ホームに入る順番待ちのための中継ぎとして利用させていただいていて、ついに今月特養への入所が決まりました。費用的にやはり特養の方が経済的なので、早い入所が決まってホッとしたのですが、ここにきて介護施設側の「もうおしまい」のような態度が目立ってきてしまい、妹が腹を立てて私に電話してきました。
施設側の気持ちもわからないではないのですが、それにしても手のひらを返すような態度には、私も話を聞いてきて腹が立ちました。しかしそれよりも妹が一生懸命母のためにさまざまな要望を施設にしてくれていた事がありがたく、嬉しく思いました。
面会に行ったら目ヤニだらけで、目がちゃんと開いてなかった
血中酸素濃度が下がったと言われてから、実は食事が流動食になっていたことを報告してくれていなかった
流動食になってから食事摂取量が落ちていて、体重が8キロも落ちた
補助食を持ってきて欲しいと言われていくつか探して持っていくと、職員間の連絡がうまくいっていなくて食べさせていなかった
等々
まぁさまざまなことが起きていました。
どこの介護施設も人手不足で、仕事もハードなことはわかっているのですが、それでも利用しているののもされているのもお互いにサービスと対価の交換をしているわけですから、そこは要望はちゃんと伝える必要があると私は思います。
妹もそう思ってくれていて、腹の立つことや苛立ちもありつつ、私に相談してくれているので二人でどう話すかの知恵を出し合って対応してきました。
やはり家族を人に預けている点で、どこか私たちにも後悔があって母に対しても施設に対しても申し訳ないと思っているんですよね。
その気持ちが厄介で、その後悔にのまれてしまうと言いたいことが言えなくなってしまう。そうすると母の快適さを奪うことになる。それは一番してはいけないことで、自分の後悔の気持ちを見るか、周りの人からどうみられているかを気にするか、母の日常を大切にするかで随分と対応に差が出てくると思います。
まぁ色々ありましたが、母の転所ももうすぐです。
これからも色々あるのでしょうが、何が大切なのかを見失わないようにやっていこうと思います。
それにしても、姉妹は大人になってからの方が話しやすくて楽しいですね。
妹の愚痴も話が聞けると思うと嬉しいものです。
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今回のお話は「どうして子どもを言いなりにしたくなるんだろう」というお話。
私はよく子育てについての相談を受けることがあります。
子育てを通じて、私自身が心や愛って何だろうなんてことも学ばせてもらうことができたわけなのですが、その真実を得るにはさまざまな苦労や苦しい思いをすることになります。
そんな苦しみや悩みの中で、子どもが私の思うようにならないと言われることがあります。
私はそこで疑問に思うのです。
子どもは親の言うなりになれば幸せになるのでしょうか?
私たち親は子どもより長く生きています。長い時間を過ごしていればそこでの体験や経験が積み上がっていきますよね。それが経験値となって、誰もがと言うわけではありませんが、先の未来が見通せるようになったりするのです。それが親にしてみると、自分の反省や後悔なども気持ちも合わさって、経験値の少ない子どもにたいして「ああしろ、こうしろ」というコントロールにつながるのではないかと思うのです。
ではどうしてコントロールしてしまうのか、と言う深層心理を考えてみましょう。
そこには子どもを愛しているからこそ、先の未来傷ついたり嫌な思いをしてほしくないという気持ちが不安や心配となって強く反映されてしまうからなのではないでしょうか。
相当ねじくれ曲がったいびつな人でない限り、根本は「愛している」からなのだと思うのです。
しかし、コントロールやいうことをきかせたいと思う気持ちに「愛」が隠されていたとしても、それを振り回してはなりません。
「愛」は自分勝手に使うものではないからです。
あなたが本当に子どもを愛して心配しているなら、彼らの自立、人としての成長を本気で願うことこそが大切なのです。
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