お父さんもお母さんも、毎日子どもと向き合いながら自分の人間性を磨いています。
「子育て」とは「親育て」とはよく言ったもので、私は「親育て」というより「自分育て」にとても良い教材だと感じています。
子どものためにと、しつけや習慣を教えている中で、結局親である自分自身の未熟さや軸のブレや知恵のなさに気づかされます。そして子どもと対峙するとき、親としてではなく一人の人間として向き合うことの難しさを知るのではないでしょうか。
数年前に「褒める子育て」が流行ったことがあります。本や子育ての講座などで、聞いたこともあるかもしれません。
最近では青山学院大学の駅伝チームが好成績を残したことで、監督の楽しみながら練習をして結果を残そうという考えが、学生の力を伸ばしたと話題にもなりました。
ところがこれ、最近では成績が伸びなくなってきていますね。褒める子育ても、あまり推奨はされなくなってきていると思います。
どうして褒めて伸ばすことが頭打ちになってきたのか考えてみますと、それは「褒めること」は相対的な考えを増長するからではないかと思うのです。以前子どもとの取り引きの子育てについてブログでも書きましたが、この褒めるという行為も、取り引きと同じことが起こります。
結局私たちは日々の生活の中で、何かしらくらべながら選択を繰り返しています。ですから相対的に物を考えることは、とても得意です。しかし、子育てに関しては特に幼い頃にこの相対的な価値観を植え付けることはとても危険です。
確かに褒めることで、自分に自信がつき自己肯定感を高めるのは重要なことです。ただ自己肯定感は絶対的でなければなりません。何かと比べて、彼より僕は私はすごいんだというのは、それが覆されたとき自己否定につながりやすくなるでしょう。
子どもにとって絶対的な価値観を持つことができるのも、褒めるという行為に含まれますが、一つ間違えば劇薬(自己否定)になりかねません。
お子さんを褒めるときはぜひ、何かと比べるのではなく、「あなた自身が素晴らしい」と言ってあげてください。
本物の自己肯定感は、親からの信頼(愛)が土台になって育まれるものです。
言葉を大事にしてくださいね。
ショウさんは船橋の一人暮らしを終了して、帰ってきてからロードバイクのような(高価なものではありません)自転車を手に入れました。これで駅まで通学するつもりが、コロナ禍で全く稼働していませんでしたが、急に思い立って温泉に行ってくる!と夕方出かけて行きました。
八王子は自然いっぱいですし、駅前に温泉が湧いているくらいあちこちに入浴施設があるんです。サウナにも興味があったようで、帰ってきてから「整ったかい?」と聞くと、「あれはいいね〜」とおじさんのように返事をくれました。
私は常日頃、息子たちと話す折には、いい時と悪い時を行き来するときに心は苦しくなるのだから、安定したちょうど良いところで、淡々と過ごせるようになるといいよ。と話すのですが、ショウさんが自転車に乗っていて、その中庸がラクだということが少しわかったという。
彼曰く
「道って平坦じゃなくて、上がったり下がったりガタガタしたりしてるじゃない。この道の状況に合わせて、ギアを調節して走り方を一定に保つと、すごく気持ちよくてラクに走れるんだよ。ギアっていろんな走り方をするためにあると思ってたけど、実は走りを安定させてラクに走るためにあるんだって気づいたよ。これってお母さんが言ってる、安定したところで淡々とやるってやつと似てると思わない?」
体験が知恵と結びついたようです。
そうなんだよ。いい体験ができたね。これからも自転車を漕ぐたびに、それを思い出して、ギアを調節してね。