お盆が終わりました。小さなお子さんがいる方は、夏休みのほうがかえって忙しく、バタバタしていたのではないでしょうか。私の家はというと、子どもたちも独立し、夫と二人。次男もこの夏から一人暮らしを始め、長男が一日だけ顔を出してくれました。仕事の合間に少しおしゃべりをして帰っていきましたが、それでも嬉しいものです。
私は実家が栃木なので、この時期に帰省しました。母は施設に入っており、普段なかなか会えないので、お盆のタイミングで面会に行けることはありがたいことです。
久しぶりに会った母は、思っていたより元気そうでした。手の硬縮が進み、爪で手を傷つけないようにタオルを握らせてもらっていましたが、顔つきは穏やかで、髪も整っていて清潔感がありました。施設の方々の丁寧なケアに感謝しています。
その日は、私と夫、弟、妹、それに甥っ子も一緒に面会しました。母を囲んで昔話をしたり、息子の近況を伝えたりして、賑やかな時間になりました。
帰り際、普段は受け身の母が、自分の右手をすっと上げて「バイバイ」としてくれました。驚きと同時に胸が熱くなりました。ちゃんと「また来るね」という言葉が届いている、その気持ちが伝わってきた瞬間でした。
母の人生と、寂しさ
面会を終えて、妹の家でおしゃべりをしていた時、弟が「母さんはすごい寂しがりなんだと思う。だから子どもに粘着するし、依存していたのかもしれない。あの頃はまだ甘えがあってそれをわかってあげることができなかったことを後悔している」というのです。母の人生を振り返ると、孤独や寂しさと長く付き合ってきた人だったのだと感じます。父を戦争で亡くし、母親とも幼くして離れて暮らし、祖父母に育てられました。結婚してからも、愛されながらも満たされきらない部分があったのでしょう。だからこそ、私たち子どもに強く寄りかかるところがありました。
若い頃の私たちは、その母の「寂しい」というサインを理解できず、うっとうしく感じたこともありました。けれども今、認知症で反応が少なくなった母を前にすると、むしろ穏やかに受けとめられる自分がいます。母の不器用な愛情や、伝えられなかった寂しさを想像できるようになったのは、時間を経て私自身が親になり、また子どもたちの成長を見てきたからなのかもしれません。
息子たちの姿を見ても、親子関係の不思議さを思います。長男はすっかり大人になり、私を気づかい、自然に優しさを言葉や行動で表してくれます。次男はまだ素直に感謝を口にするのが照れくさい様子で、その子どもらしさが私には可愛くもあり、少し心配でもあります。
母に対して素直に寄り添えなかったあの頃を思うと、息子たちが私に優しさを見せてくれることは、救いのようにも感じます。人はみんな未熟さを抱えて生きていて、後悔のない親子関係なんてありません。でも、後から気づき、補い合い、許し合えることが、きっと大切なのだと思います。弟は後悔を口にしていましたが、それはわたしも同じで、それがわかるようになったのは歳をとったということなのかもしれません。
帰省の道中は夫と二人でビジネスホテルに泊まり、ちょっとした旅行気分も味わいました。仏壇に手を合わせ、食事をし、甥っ子が切ってくれたスイカを皆で食べた時間も、良い思い出になりました。
介護をしている方も、今まさに苦しさの中にいる方も、あるいは看取りを終えて自分を取り戻そうとしている方も、それぞれに違う時間を過ごしていると思います。でもきっと共通して言えるのは、「完璧な親子関係なんかない」ということ。だからこそ、完璧を目指さず、後悔することも含めて、今できることをやり尽くしたいと思いました。
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