今回は、私たち夫婦の会話をめぐるちょっとした日常のズレ──その中にある「感覚タイプの違い」についてお話してみたいと思います。
優位感覚の違いがすれ違いの原因に?
人は誰しも五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)を持って生活していますが、その中でもよく使う傾向のある感覚を「利き感覚」「優位感覚」といいます。NLP(神経言語プログラミング)では、主に「視覚タイプ」「聴覚タイプ」「体感覚(感覚)タイプ」の3つに分類されます。
私は典型的な「視覚タイプ」。物事を絵や映像で捉えることが得意で、言葉にも正確さや明確さを求めがちです。反対に、私の夫は「体感覚タイプ」。感覚や雰囲気、空気感を重視するため、言葉が曖昧だったり、指示語(あれ、それ、ここなど)がやたら多かったりします。
この優位感覚の違いが、なかなかに面白い(というか、若い頃はけっこうイライラしましたが)すれ違いを生むのです。
あれってどれ? それって何? 夫の「感覚語」に翻弄される日々
たとえば休日のドライブ中。「お昼どうする?」と私が聞くと、夫は「あそこ行こうよ、ほら前に話した新しい店」などと言います。「あそこってどこ?」と聞くと、「ほら、あの道路沿いの…」と続く。
店名も場所も具体的に出てこない夫の言葉に、私は毎度モヤモヤ。記憶の中から“新しくできたかもしれないお店”を総動員して、「あのカフェ?」「あの洋食屋さん?」と当てにいく、まるで連想ゲーム。
視覚タイプの私は「具体的な情報」がないとイメージできません。でも夫は、「体感」で捉えているから、本人の中でははっきり「そこ」が存在しているのです。悪気はない。でも伝わらない。このズレが、日常のあちこちにあります。
コミュニケーションは、慣れとあきらめと、少しの敬意
洗濯洗剤の話でもそうでした。私が「いつもの粉石鹸、もうなくなっちゃったから買いに行きたい」と言うと、「ほら、あれだよ、前買ってきたとこで売ってたやつだよ」と夫。
だから、それがどこなんだってば……とツッコミたくなる気持ちを、ぐっと飲み込んで「もしかしてカインズ?」「ああ、それだ!」──このやり取りも、もはや夫婦の定番です。
以前はイライラもしました。でも今は「この人は、この感覚で世界を捉えている」と思えるようになりました。なれもあるかもしれませんが、そのままを受け止めることが私自身のため、楽な関係をつくっているように思います。
これは諦めではなく、尊重。自分が変わる方が早い、と気づいたからです。年を重ねるごとに、イライラするエネルギーも惜しくなってきますしね。
梅の実と暮らしの感覚、そして成熟ということ
そんな日々の中で、我が家の梅の木が今年は豊作。夫がせっせと梅を収穫してくれたおかげで、私は毎日せっせと瓶詰め作業。梅シロップに蜂蜜漬け、らっきょう酢を使ったやさしい梅漬け──保存食づくりに精を出しています。
夫の「取りすぎ」には思うところもありますが、それもまた暮らしの一部。完全に“社会的肩書”を脱ぎ捨てた彼が、感覚のままに動き、関わってくれていることに、私はある種の安心感を覚えるのです。
違う感覚を持つ相手と、どう付き合っていくか。
それは、私たちが日常で何度も繰り返していく「小さな理解」の積み重ね。そして、自分の枠の外に、そっと手を伸ばすことでもあります。
感覚の違いで起きるすれ違いを、ユーモラスに、そして誠実に捉えることができたとき、私たちはまた一歩、成熟に近づけるのかもしれません。
今日も、ちがいを面白がる一日になりますように。