今日は八王子、珍しく曇り空。
いやぁ、これがまた過ごしやすいのなんのって。
太陽が隠れてくれているだけで、身体がふっと楽になるんですよね。
ここ1週間、10日くらいずっと灼熱続きで、雨も一滴も降らず。ニュースではゲリラ豪雨の映像が流れているのに、うちのあたりはカンカン照り。車の中でも、家の中でも、あの太陽光線と紫外線にじりじり攻められる感じ。暑いとかいう次元を超えて、身体の芯までやられてしまう。
私はもともと体調不良持ちですから、太陽を避けて、どうにかこうにか日々をやり過ごしていたんです。熱が体にこもると下がらなくなって、そうなるともう眠れない。不眠に拍車がかかって、ただでさえ夜中にトイレで起きるのに、細切れの睡眠すら奪われて、ほんと、地獄のようでした。
だから今日の曇りはまさに「雲さまさま」。青空は好きだけど、続きすぎるとしんどいこともあるんですよね。
さて 事件です
そんな中、用事があって銀行に行きました。最近はネットで手続きができることがほとんどで、窓口に行くのなんて滅多にないんですけど、今回は「解約」と「再登録」が必要で、どうしても本人確認がいる手続き。仕方なく足を運んだんです。
最初はコールセンターに電話をして準備をしました。これがとても丁寧でありがたかった。必要な書類や持ち物をきちんと教えてくれて、「あぁ、助かった」と思いました。私はね、気持ちのいい対応をしてもらったときは必ず「良かったです」と本部に伝えるようにしているんです。クレームは世の中にあふれているけど、褒め言葉こそ人を支える力になると思うので。
さて、問題はその後の窓口。
最初に対応してくれたのは、年齢も近そうなベテラン風のAさん。少し不慣れな様子もありつつ、一生懸命で丁寧な方でした。
そのAさんが確認に行ったのが、若くてキリッとしたBさん。明らかに仕事ができるオーラをまとった人。でも、その「できる感」が裏目に出ていたというか、Aさんに指示を出すときの態度や雰囲気にイライラが滲んでいたんです。
手続きの途中で、私の古いキャッシュカードが問題になりました。ICチップが入っていないから暗証番号での確認ができない、と。なるほど仕方ないことだとは思います。
でもね、そのときのBさんの動作。
カードをトレイから持ち上げて、「これじゃダメです」と言いながら、パンッとトレイに叩きつけたんです。
その音を聞いた瞬間、正直カチンときました。
だって、それは私が長年大事に使ってきた銀行のカード。つまり、ずっとその銀行を使い続けてきた客の証でもあるわけですよね。それを、軽くとはいえ叩きつける? それは違うんじゃないか、と。
その場で立ち上がって、「ちょっと、それは失礼じゃないですか?」と声をあげそうになったけれど、やめました。もし私が強く言えば、矛先がAさんに向かうような気がしたからです。怒りを処理できない人って、自分より弱い立場に向けてしまうことがあるじゃないですか。
だからこそ、逆に人間観察をしてしまいましたよ。
Bさんはお客(ワタシ)に怒りをぶつけられない、かといって自分で消化もできない。それが態度や手癖に現れてしまった。つまり「思いやりの想像力」が働かなかったんだと思うんです。
ホスピタリティとはなんぞや?
この出来事から改めて考えたのは「ホスピタリティ」ってなんだろう、ということ。
ホスピタリティとは、相手を大切に思う心が自然に行動に表れることだと私は思います。
特に銀行やホテルのように「信頼」で成り立っている場所では、安心感を与えることが何よりも大切です。
もちろん人間だから、体調が悪いときやイライラするときはある。だけど、それを仕事中にコントロールできなかったら──少なくとも「一期一会の場」である窓口や接客業では、大きな問題になってしまう。
人の思いは行動に出る。だからこそ、相手に見せてはいけない一瞬の感情というものがあるならそれはどんなに小さくても出してはならないのではないでしょうか。
人が人を思う
私自身、感情がすぐ顔に出てしまうタイプです。
嘘をつくのも下手。
だからこそ、仕事では緊張感を持って、出す表情と出さない表情を選んでいます。
でも日常ではなかなか難しいこともあります。気が緩んでますから、つい本音が滲んでしまう。
人が人を思う心は行動に出るものです。
ホスピタリティとは、その「一瞬の反応」まで含めて、相手に安心と信頼を与えられるかどうかがキモになると思います。
今日の銀行での出来事を通して、あらためて自分にも問いかけました。
「自分は、相手を大切にできているだろうか?」
「感情に振り回されていないだろうか?」
ホスピタリティは特別なスキルではなく、人としての思いやりの延長線上にあるんだなと、曇り空の帰り道にしみじみ思いました。
記事を読んでくださって ありがとうございます
皆さんご機嫌いかがですか。
最近急に季節が進んだように感じます。
数日前まで布団をはねのけて寝ていたのに、昨夜は羽毛布団+毛布の最強タッグ。それでも寒くて、ようやく明け方3時過ぎに眠りに落ちました。高温動物たる人間は、一定の体温を保てなければ快眠がむずかしい。
うちの猫も正直で、こたつを出したら秒で潜り込み、私の足元にぴたり。
人も猫も「温度が合う」と安心して緩むのです。
さて、ここ数日は政局ウォッチが止まりません。ドラマや芸能ニュースより、今は政治がいちばん面白い。大臣会見や国会中継をかけ流しながら、「この人の言葉はどこへ“着地”させにいっているんだろう」と聴くのがクセです。
政治家のぶら下がりや、記者会見を見ていると、原稿を読むだけでは伝わらないものが確かにあることがよくわかる。
熱量
ベクトル(誰に向けて話すのか)
着地点(何を届けたいのか)
そして笑顔。
テクニックとしての笑顔はたしかにあるけれど、土台に「本気」や「誠実さ」がなければ、人の心は動きませんね。
国民民主は自民党を信じられず、維新は高市総裁信じた
政治は駆け引き。約束は事情で果たせないこともある。
そんなことは当たり前で、わかっているのだろうが、今回の連立は
「自民党を信じられなかった国民民主」と「高市総裁を信じた維新」が見せた結果だったように思う。
人は裏切られたられた体験が重なると慎重になり、次の手を出せなくなる。
国民民主はいろいろ言いたいことはあるでしょうが、私にはそう見えた。
誰かを「信じよう」と一歩を踏み出した維新は、高市早苗という人を信じたようの思える。相手の“今ここ”の真剣さが伝わることで、そこを信じたのではないだろうか。
北風と太陽――空気が変わると、人は緩む
経済の循環も、人の心理も、緩むと回り出します。
北風(締め付けの空気)の下では、人は前をかたく閉めて、ますます縮こまる。けれど、太陽(開放の空気)が差すと、思わず上着を脱いでしまう。
最近の空気に私は「希望」を感じています。ご祝儀ムードだけでは説明できない、胸の内がふっと軽くなる感じ。空気が明るくなれば財布の紐も心の扉も少し緩む。そこから正のスパイラルが始まるのではないかと思うのです。
「民意」と「選挙」と、これから
いま見えているのは、党内の支持や連携の動きであって、日本全体の民意を測る最終形ではありません。だからこそ、どこかで選挙という確認作業は必要になる。
そのときまでに、希望の灯を消さずにいられるか。言葉を現実へつなぐ具体の一歩――それをどれだけ積み上げられるかが勝負なのでしょう。
日本らしさについて少し
ここからは完全に私見です。日本は、天皇陛下をいただく国として、基本は保守の感性が根っこにあるのではないか。
ルールを守る真面目さ、相手を傷つけない慎み、感謝を忘れない文化。こうした“らしさ”がほつれていくのは、私はやっぱり寂しい。グローバルに開くところは開きつつも、守るべきを守る選択があってもいい――そんなふうに思っています(極端だと息子たちにはよく言われますが、好みは好みなので…)。
今のこの時代は、行くも地獄、もどるも地獄。
誰がリーダーになったとしても、簡単に楽になる世界にはなることはないように思います。どこかで踏ん張り、諦めずに耐える必要がある。
この苦しい時期に、一寸の希望の光を消さずにどこまでそれを灯し続けられるか??
いつか本当の明るい燃え盛る希望が現実に現実になるまで、忍んで参りましょう。