みなさん たましい磨いていますか?
経験値ためて 直感上がってますか?
続き・・・
エネルギーって簡単に扱えるものじゃありません
「風の時代」を「水瓶座時代」とイコールで考えている占星術師さんもいらっしゃいます。水瓶座は風のエレメントですし、そういう見方も間違っているわけではないのですが、私とマーサも見解は「風の時代」はここ数年の短いサイクルの星の影響によるもので、私たちが実際感じたのはそんな軽やかなものではなく、不動宮の「水瓶座」の拘束感でした。
これは占星術の3区分といわれる「どんな行動が得意か」という区分になります。
「継続する力、強い意志や安定感」が不動宮の持つ意味合いになるのですが、こちらのことを試されたように思います。
「在処は軽さや万人受けするように変化して行くのか?」と問われたたということです。
さて、「エネルギーで対価の交換を」といわれた私たちは、既にサイトを完成させ納品した状態でもあったので、少しでも早くそのお返しをしなくてなならないと思いました。在処でお返しできるものといえば各講座の知識を得てもらうか、私のガイドの翻訳をお伝えするか、マーサに星読みをしてもらうか。もしくは在処塾になります。私はその時作っていただいたサイトがどれくらいの価値なのかわからなかったので、私たちの持っているスペックのもっとも高い価値のある在処塾をやりませんか?と提案しました。最も価値があった、要は私にしてみると最もエネルギーをかけて実施しているものでもあるということと、彼らのガイドももしできるなら今変わっておいた方が良いと思うとのメッセージももらっていたからです。彼らも変化の時を迎えていましたし、もし必要ならとガイドのメッセージも伝えて投げかけてみました。
しかしここからがまたまた障壁が出現します。これは彼らにとっての障壁だったのですが、在処塾をやった方ならよくおわかりでしょう。
タイミングが今じゃない問題です。
自分の中の無意識が変化することを拒否するんですよね。人は習慣の生き物ですから、変化は恐怖でしかありません。そこを乗り越えさせるものは「変わりたい」という強い意志と「勇気」しかありません。
「在処塾はやりたいけれど、今ではない」
「時期を見て始めたい」
そういう言葉に、直接お話をしたりもしましたが話はまとまらず、期限もないこのエネルギー交換の約束はとても恐ろしいものだとやっとわかったのです。
これは徳の相殺にも関係することですが、私たちが行う行動が周りにどう影響するかで、どんなことも自動的に徳の相殺は行われています。エネルギーをあたえられたらそれには相応の価値あるもので返さなければなりません。多くもらい過ぎればその余分を何かで返すことになります。例えば私の場合、若い頃ずっと占いや霊能を無料で行ってきました。その対価を受け取らないということがお金ではなく相手の徳をもらうということで相殺され、私には余分な徳がどんどん溜まっていきました。これ一見良いことのように思われるかもしれませんが、徳はお金と違って魂に溜まっていくもので輪廻の中でずっと使われるものです。お金よりずっと価値のあるものですから、それが溜まって、私の器を超えるほどになった時、その余分を変換されることが起きます。それが「お金というわかりやすい対価を受け取らず徳を奪った代償として、私自身が健康を害する」ということがおきました。
この仕組みがわかったとき、エネルギー(徳)をお金というこの現世でしか使えないものに変換することで、私たちは守られているのだということを知ったのです。
だから、お金は大事なんです。
在処のメニューも私のセッションも、マーサの星読みも、この世界のある意味エネルギーの対価であるお金で価値を定めています。目に見えない世界が認知される世がやってくるとしても、それはもっと先の話でしょうし、今のこの世界を生きている私たちが見えないものの価値を見極めるほど高尚であるわけがありません。「エネルギー交換の実験」を提案されましたが、そんなこと今の私たちにできるなんて傲慢にも程があります。なんとバカな提案を呑んでしまったのでしょう。
私は自分がとても恥ずかしくなりましたし、人としての未熟さを再認識しました。
そして私は正直に彼らに謝りました。
「エネルギーの交換でとの提案を一度は受けたけれど、それは大きな間違いだった。この世界ではあなた方が作ってくれたサイトのエネルギーがどれほどのものか、私には判断がつかないし、それらを相殺するのに私やマーサがどれほどのものを提供しなければならないのかもわからない。このままではお互いに何もわからないまま、いつまでこの交換を続けたらいいかも定まらない。それでは私はとても不安なので、この世界のルールに戻したいと思います。振り回してしまって申し訳ないが、サイト作成の料金を現金でお支払いしたいと思う。おいくらですか?」と。
そして何故か、見積書が来ました。(ここ請求書でないところがまた意図があるのです)
それには百数十万円の金額が書かれていたのです。
続く・・・