ここまで『被害者』と『脅迫者』のコントロールドラマについてお話してきました。
今回は『尋問者』と『傍観者』のコントロールドラマについてお話していきます。
尋問者というドラマ
脅迫者の次に攻撃性の高いものが、尋問者というコントロールドラマです。
「利己主義な批評家」と呼ばれる尋問者は、相手の非を常に探しては、
『なぜ?』『何が?』と、理詰めで追い詰めます。
質問しているようですが、詰問です。脅迫者の口(くち)バージョンと考えて下さい。
相手を発言だけで攻撃をするという事です。
尋問者は、常に理論武装しているので、(同じように腕の立つ尋問者じゃない限り)相手は尋問者に対して反論が難しくなります。
尋問者は相手に対して反論する隙を与えないからです。
ですので、尋問者のドラマに巻き込まれ
尋問を受ける相手側は、『責められている』『自分には能力が無い』『力が無い』と感じて、
自信を失くしてしまい、エネルギーを差し出してしまいます。
尋問者からいつも責められていると感じ、責められたくないという後ろ向きな動機が強くなり、尋問者の目を通してしか自分を見ることができなくなり、判断力を失います。
尋問者側は「あなたが正しい」、そう言われるあるいは、そう思ってなくてもどんな形であれ
相手を自分に屈服させることで、尋問者は、相手からエネルギーを奪います。
相手の口を封じるという形で、相手の上に立ち、支配するわけです。
尋問者はそうして自分の賢さ、正しさをアピールしていきます。
理論武装するという事はそれだけ知識や言語を巧みに操る事ができる。それは自分がこれだけ相手よりも『知っている、だから賢い』『自分はここまで理論を展開できるのだから正しい』という独自のルールやこだわりを持っています。
知性を使った勝負への意識がとても強いのが尋問者なのです。
尋問者のドラマの多くは傍観者というドラマを生みます。
「それはどういうこと?」「どういう意味?前はこう言っていたよね?」「世の中はこうなのにそれはどうなの?」
と、常に批判口撃をしてくる尋問者から自分を守り、エネルギーを取り返すには、被害者ドラマではうまくいきません。
被害者ドラマさえ、批判の標的になってしまうからです。
傍観者というドラマは、相手と距離を置き、口を閉ざし、自分の考えは表に出さないようにすることで、尋問者から自分を守ります。
傍観者というコントロールドラマ
被害者ドラマの次に受け身性の強いのが、この傍観者です。
「ポーカーフェイス」と言われる傍観者は、相手と距離を置き、自分の考えは表に出さないようにすることで尋問者のドラマからエネルギーを渡さないように自分を守ると書きました。
それでは傍観者は、自分を守るだけでエネルギーを奪わないのか?
いいえ、そうではありません。
傍観者は、相手と距離を置きますが、自分をどこに置いているかというと、相手よりも「高い」ところに置いているのです。
すべてのコントロールドラマに上下の基準が働いていることはお話しした通りですが、傍観者のドラマをやるときの距離というのも、それなのです。
傍観者は、高いところから相手を眺めて、「やってるやってる、バッカじゃね~の!?」と、傍観しているのです。《決して言葉にはしません》
相手を見下しながら高みの見物です。
そしてどうやってエネルギーを奪うのかというと、自分の意見は言わないことで、相手から興味関心を持ってもらうという形で奪うわけです。
人の好奇心が傍観者ドラマの求めるエネルギーです。
傍観者ドラマを繰り広げる人は、何を考えているのかよく分からない、よそよそしさを感じさせます。
自分のことなのに、まるで他人事のように受け流したり、
相手が一生懸命にコミュニケーションを尽くしても、まるで暖簾に腕押しのように感じることも。《何の手応えも張り合いも無いと思わせる事》
それは、傍観者が自分の人生でさえ傍観するというやり方で、痛みを避けていると同時に、相手が自分の為に尽くす行為を見下しながらも心地よく思っています。
尽くされたら嬉しいわけです。
また、自分の人生に対しても自分にではなくどこかや誰かに主導権を置いて周りに自分の為に動いてもらう、決めてもらうなどもあります。
どれも根元にあるのは
自分はいつも《相手》よりも上で、特別な存在だから。
だから自ら何とかしようとしなくとも
『相手が自分にエネルギーを与えるべきだ』という
受け身でありながらも、しっかりとエネルギーを奪うのが傍観者なのです。
ここまで4つのコントロールドラマについてお話ししてまいりました。
どのドラマも目に見えた現象としてはそう見えなくても自分が相手よりも上にいるという考え方がベースとなって
自分の発言や行動へ繋がっています。
では次に、どうやって私たちはドラマを身に着けるのか?をコントロールドラマとは?④でお話しして参ります。