前頭前野は、「考える」「記憶する」「アイデアを出す」「感情をコントロールする」「判断する」「応用する」など、人が人らしくあるために、重要な機能を司るところでもあります。しかし、肥大したからといって高機能になったわけではなく、じつはそこに大きな負荷(ストレス)を抱えてもいるのです。
「認知負荷」ということをご存知だろうか?簡単にいうとたくさんの処理をしなければならない脳は、どんな時もたくさんのエネルギーを消費し働き続けています。
そのためラクをしたい・悩みたくないという気持ちが「認知負荷」にあたります。脳はどんな時も働き続けており、そのため脳は情報処理能力を上げるために、複雑なことは単純化してしまうようなのです。
簡単に言えば、一か八か、白か黒か、0か100かのような二者択一の思考をしがちだということ。自分で考えることが本来苦手なので、人の意見や周りの状況がいかにも正しく見えてしまいます。その結果多くの人がそれを支持していると当たり前のようにとらえ、たとえその事実が間違っていたとしてもそちらの方をよしとして認識し認めてしまうのです。
マジョリティー(多数派)による同調圧力もその一つでしょう。人とは低きに流れると言いますが、まさにそれが起きる原因はこの脳の認知負荷にあるのかもしれません。多数派の意見がいいように思えても、それはあなたがただ「考えるのが苦手な脳」を持っているからかもしれません。
真実や誠の事実が少数派であったなら、それこそ選ぶためには怠惰に流されるのではなく、しっかり考えるということをしていく必要があるのです。
昨今私たちは情報の海にもまれているようなものです。ネット環境が快適になっていけばいくほど、自らがその情報を選別し、取り入れ、考えて、自分の中の倫理観に基づいて「私はどうするか」を決定していくことができなければならないのです。
考えることを放棄してはなりません。多数派にただ迎合していくことは、自分という個の尊厳を全く無視する行為です。
どんな時も好奇心があなたの個を律する手助けをしてくれるでしょう。
思考して生きていくことが自分を自分たらしめるのです。
]]>その思い変えですが、「〜ない」と否定形で思い変えても効果がありません。たとえば「タバコを吸わない」「お酒は飲まない」「甘いものを食べない」などです。
なぜ否定形ではいけないのか?それは脳は否定形を理解できないからです。
一時期「引き寄せの法則」などの自己啓発本などで語られることの多かったこの説は、ポジティブな言葉を使うことを肯定するために使われていたために擬似科学(科学的事実ではないが間違って科学的事実と位置付けられたもの)と言われていました。
しかしこれにはちゃんとした科学的な根拠があります。「シロクマのことを考えないでください」と言われると、みな必ずシロクマのことを考えてしまいます。
この「何かを考えないように努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる」という現象を説明する理論を皮肉過程理論と言います。
1987年にダニエル・ウェグナーが提唱したこの理論は「考えない」という命令を実行するために思考を監視する監視過程を実行するためには「考えること」を覚えておく必要があるため、考えないという目的の達成のためには考える必要があるとした理論のことです。
この「何かを考えないように努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる」という現象は、考えを改めようと否定語で思考の上書きしようとしてもそれができないということです。
ならばどうすれば、思い変えはうまくいくのでしょうか。否定語や「〜ない」という表現の言葉ではなく、肯定語、もしくは将来どうなりたいかということを想像し未来思考を反映させた言葉を使うのです。
例えば「タバコをやめたい」を上書きするのに、「タバコを吸わない」と考えたとします。
すると「タバコを吸う」ということを考えなければ、その否定を考えることができないので、結局「タバコを吸う」ということを考えてしまって「吸わない」ということを認識しそれを行動するよりも、「タバコを吸うこと」の方を意識してしまい結局「タバコを吸って」しまいます。
これを「スイスイ階段が登れて気持ちがいい」と思い変えるのです。一見「タバコを吸わない」ということとはつながらないように思えますが、息切れすることなく胸の奥まで空気を吸い込む爽快感を「スイスイ階段が登れて気持ちがいい」という出来事のビジョンとして思い描くのです。タバコを吸わなくなった未来の自分がどんな行動をし、どんな気持ちになるか想像してみるということですね。
「スイスイ階段が登れて気持ちがいい」と感じている自分を上書きすることで、肯定的に「タバコを吸わない」を思い変えしていますから、脳はそれをすぐに認識し、そうなるための行動を選択するようになっていきます。
ある人は、あまりに忙しい職場で同僚が、「戦争みたいな忙しさね!」とイライラしながらいった言葉を「本当、お祭りみたいな忙しさね」と言い換えたそうです。「戦争」という悲しくてつらい言葉ではなく、同じような状況でも「お祭り」と表現した方が、心が踊るような高揚感に包まれるではありませんか。
釈迦はこの世界を「四苦八苦の世界」と言いあらわしました。確かに楽しいことよりも苦しいことの方が多い世の中です。しかしこの苦しいが前提の世界の中で、たとえそうであっても自分の考え方「思い変え」ひとつでラクで幸せを感じることのできる世界にすることができるのです。
未来志向の思い変えを駆使して、上手にこの世界を渡り切ってみてはどうでしょう。
あなたの思考ひとつで、この世界はいくらでも変化していくのです。
なぜなら 、スピリチュアルはあくまでも、スピリチュアリストの主観的なものの見方であり、それを信じきって行動することは他人軸であるからです。
様々な問題は、あなたが人生をかけて理解し、納得し、魂を磨いて智慧を貯めるために起こります。ですから、あなたが自分軸を持って、自分らしく責任を取りながら解決していくことを求められているのです。これができないと、あなたの人としての器=人間力は鍛えられることも大きくなることも、整うこともありません。いつまでも未熟なままです。
スピリチュアリストのことを信じきって、その通りにすることはやめましょう。どんな時も、起こることに疑問を持ってください。そして自分の頭で考え、他の人の意見や情報を取り入れながら整合性(矛盾なく整っていること)を取ってください。人の言いなりになるのではなく、あなた自身が自分の目とアタマで選別し、選択するのです。
彼らがいうことを頭からなんの疑いもなく信じる理由はなんでしょう。おそらくは「信じたいから」ですよね。そしてどうして「信じたい」かといえば、その見えない世界からのメッセージが耳ざわりが良くて、あなた自身がいい気持ちになったり、逆に自己責任で向き合わなければならない苦しくてつらい出来事を、カルマだの地縛霊だののせいにして逃げるために使おうとするからです。
私も今まで多くのクライアント様方とおはなししてきましたが、天使からこんなメッセージが・・とか、ハイヤーセルフだか指導霊にご先祖からこんなカルマを背負わされていると言われたとか、ご本人の自己承認欲求を満たすようなうまい言葉や、不安をあおっていいなりにさせようとするようなコントロールがちりばめれれていて、すっかり信じ込んでいる方もいらっしゃいました。
あの世からくるメッセージは、案外気持ちの良いものではないことがほとんどです。なぜならば、あの世には感情などないからです。共感とか空気読むとかそういうことを、あちらのスピリットたちはやりません。というかできないのです。
ですから、本物のメッセージははっきりズバッと行ってくることがほとんどで、私はガイド(守護するスピリット・実際はあなたの分霊達)のメッセージの翻訳者ですが、みなさんに彼らのメッセージを伝えるときには、あまりにダイレクトなことが多いので内容を変化させないようにうまく言葉をやんわりとさせてお伝えすることがあるくらいです。
霊的なことがわかったからといって、それだけで悩みや問題が解決されたりはしないということは、ご理解いただけたでしょうか。
整合性のとれた知識を持ち、その知識を使って思考して自分に正直な選択をしてください。
それがあなたの自分軸です。決して自分勝手になりませぬよう。
しかし私たちは人であるということは感情は湧き上がってくるもので、この感情が意識の元(原因)になっているのだとしたら、意識も感情も我慢して抑制しすぎてしまうと、どんどん溜まって苦しくなってしまいます。
自然に湧いたのなら自然に消えることもありますが、それは時間をかけて忘れるしかありません。
ですから何かしらの方法で、解放・発散することがもっとも手っ取り早いと思います。運動するのでも、カラオケで大声で歌うのも、人にグチるのもやけ食いもアリです。
でもこれらで発散するときには、その前にしっかり感情を感じきってください。
くやしい、悲しい、寂しい、嬉しい、楽しい・・・。様々な感情をしっかり感じて自分自身のものにしてから、そのあとに 発散するか解放するかご自由にどうぞ。ネガティブな思考や感情を持つことは良いことではないと、一時期言われていたこともありますが私はそうは思いません。
成功体験より失敗体験の方が学びがいのある経験値です。自分勝手、わがまま勝手にとらえがちなポジティブ思考より、ネガティブな思考を「思い変える」ことで未来志向になった方が良きも悪しきも持ったまま、あなた自身でありながら変化できるのです。
感情を忘れるために発散や解放しても、あなたの心に納得いく経験値にはなりません。
感じきって、やっとあなたのものになるのです。